太平洋のほぼ中央に位置するハワイ群島はハワイ・マウイ・モロカイ・オアフ・カウアイ島などが主要をなしている。1900年 (明33) にアメリカ合衆国の領士となり、その後1959年 (昭34) には同国の50番目の州になった。
今でこそハワイは世界の観光地で知られるが、それ以前はサトウキビやパイン産業が栄え、その農業労働者として日本などのアジア地域から、大量の移民が導入されていた。
1899年 (明32) 12月沖縄県から初の移民がハワイに送り出された。あくる年の1月にホノルル港に到着し、26人が契約耕地に向かった。他府県に遅れてスタートしながら、沖縄県人の渡航者は1905年 (明38) から急速に増え、以後、常に全国の10%をしめるようになった。
ここで、佐敷町のハワイ移民に目を移してみよう。
『沖縄県史料』 (沖縄県教育委員会) の移民名簿によると、佐敷町人初の移民は 「士族、真栄城守和」 で、1904年 (明37) 6月にハワイに渡航したと思われる。
この年の名簿には、同氏以外の氏名は見当らないが、翌1905年には佐敷から39人、1906年45人、1907年16人の氏名を確認することができる。
3月に実施したハワイ調査では殆んど二世からの聞き取りになったが、初期移民の労苦の足跡をたどり、多くの関係資料を収集することができたのは幸いであった。
知念忠三郎 (78歳) 氏から、明治38年発行の、父・忠祐氏の渡航許可証を寄贈して頂いた。話を聞たり、名薄で名前を見つけたりしても、実際にこれらの裏付け資料に出会うのは少ない。その意味でもこれは貴重な資料である。
調査報告は次号に続く。
(町史担当・新垣安子)