「今、生きるということ」
佐敷中学校一年 當山 牧子
「あいつは、精いっぱい今の時を生きてたから悔いはないと思う」
私は中学生になって間もなく、新聞でこの言葉をみつけました。それは無免許運転でバイクを暴走し、命を落としてしまった高校生の友人が語った言葉でした。
それを読んだ後、しばらく私は考えこんでしまいました。最初、私には亡くなったその人が、悔いのない人生を送ったとは思えませんでした。
バイクで暴走するより、他にもっとやるべき事があったのではないかと思ったからです。しかし、その反面「精いっぱい今の時を生きてた」という言葉で、また考えてしまいました。その人の進んだ道が、どうであったにせよ、確かにその人なりに精いっぱい今の時を生きていたのかも知れない。きっと命をかけてバイクを暴走させることに生きがいを感じ、今の時と自分を輝かせ満足していたのだろう。そう思うと、自分のしたい事ができたその人にとっては、悔いのない人生だったといえる様な気もします。
ふと私は、自分自身の日常生活を思い出しました。学校、勉強、部活、毎日同じ事のくり返し。その中で、私の輝ける時間がどのくらいあるのか。心の底から、一生懸命で生きがいを感じられる時間が。学校へ行き、いやいややる勉強。つかれるだけで上達しない部活。輝ける時間なんてこれっぽっちもないではないか。これでは今、私が死んだら人生に悔いしか残らない気がします。こんな私に悔いのない人生を送ったといえるその人を、批判する資格などあるのだろうか。その人が決して正しい道を進んだとは、私には思えないが今をどれだけ輝くことができたか、それで人生の良し悪しが決まるならその人の人生こそ素晴らしい人生なのでしょう。
今、生きるということ。それはどういう事なのか、毎日の様にテレビや新聞で報道される、高校生、中学生によるバイク事故のニュース。そのたびに私は、深く考える様になっていました。
ちょうどそんな時、夏休みのリーダー研修がありました。私達佐敷中学校は盲学校との交流があり、その中で私はこずえさんとの出会いがありました。彼女は沖縄の盲学校を卒業し、今は筑波大学附属高校に通って音楽の勉強をしているそうです。
ハンデがありながらも、一人で寮年活をしています。放課後は毎日、声楽のレッスンがあるそうです。健常な人達でさえ大変なスケジュールをいったい彼女はなぜここまで、頑張ることができるのでしょう。
私は彼女の次の言葉で、その訳が分かりました。
「私の将来の夢は音楽の教員になることです」その時の彼女の表情がすごく輝いてみえました。私は、そんな彼女に深い感動を覚えました。
彼女は今、自分の夢に向かって歩んでいます。健常者に負けぬよう、そして自分の夢を実現できるよう、ハンデをもちながらも数々の苦難に立ち向かっています。きっとそんな彼女の前は、素晴らしい未来がまっているでしょう。
やっと私は分かりました。バイク事故の記事をみていらい、ずっと考え続けてきたあの答えが。今、生きるということ、それは今だけに生き、輝くことではありません。未来へ続く道を自分の力で切り開いていくという事なのです。その時こそ、人は本当に輝き、悔いのない人生を歩めるのだと思います。
私は今、中学生。これから長い長い道を歩いていきます。どんな困難があっても、ハンデを克服しながら頑張っているこずえさんの様に、それをのりこえようと思います。そして、自分のもつ、大きな夢をかなえたいと思います。 (婦人の作品は次号)