八月二十七日にはモンゴル国から、九人の音楽家と舞踊家が佐敷にやってきます。
北をロシアに、のこりの三方を中国にはさまれた草原と砂漠と山の国。日本の四倍の国土に、住んでいる人々がたったの二百二十万人です。現在は遊牧民の定住化政策が進んでいるようですが、今でも国土の大部分の牧草地に、羊、ヤギ、牛、馬、ラクダなどを放牧して生活する人々が大部分のようです。
十三世紀に築かれたチンギスハーンの強大なモンゴル帝国、そして十三世紀の元冦と、歴史的な知識をお持ちの方は多いでしょうが、第二次大戦後は、共産圏国家となり、また地理的にもアジアの内陸部に位置することもあって、縁の遠い国でした、1972年にはすでに国交が樹立されたのですが、3年前の海部首相の公式訪問がきっかけで、近年急速に国の事情が見えるようになりました。
今回来町するメンバーは、舞踊家六十人、歌手四十人が所属するモンゴル最大の歌舞団のなかから選ばれて派遣されます。
日本の民謡「追分節」の源流ともいわれる「オルティン・ドゥ」の力強い歌声。二つの音を同時に出して歌う超絶技法の声楽「ホーミー」、有名な民族楽器「馬頭琴」の風のようにさわやかな響き、そしてさまざまな家畜にちなんだ躍動的な踊りなど、めったに見られない民族芸能の数々です。
それでは「馬頭琴(モリン・ホール)」にちなんだ伝説を紹介しましょう。少年スーホが命よりも大事にしていた白い馬。
その馬があるとき、王様に奪われ最後には殺されてしまいます、悲しみのあまり生きる希望も失った少年の夢枕に白馬が現われます。その言葉のとおり、タテガミや尾、骨などを用いて作ったら馬頭琴となったのです……
さて、海をまったく見たことのない九人の使者たち、モンゴルに帰ったら沖縄の海をどのように伝えてくれるのでしょうか。 (琉球大学教授)