人と、自然とふれあって
つきしろ 大城和則
5月3日の午後4時ごろから強風が吹き荒れた。目の前が見えなくなり、距離にして約30㎞の道のリはたいへんなレースになった。ランナーのひとリか工事中のマンホールに落ちるアクシデントも起きた。
午後9時半、180㎞地点の宗頭文化センターに着く。同センターは、レース中、唯一仮眠のとれる施設である。昨年は160㎞地点でリタイアーしたので、宗頭までたどりつき完走への自信がふくらんだ。
私は眠らなくて走る気で、センターで風呂を使い、食事をしてすぐ出発しようとした。「2時間くらい眠ってから、1時ごろ一緒に出よう」とある人から声をかけられ、〈旅は道づれ〉との思いで眠りについた。が、その人は起こしてくれず、目を覚まし時計を見ると、「午前7時」。頭はパニック状態。
覚悟を決めてもう一度、目をこすリ時計をよく見ると、午前3時であった。3時ならタイムリミットに間に合うと思い、あわただしくセンターを出た。勇んで飛び出したのはいいが、水分の補給を忘れてしまった。
小銭の持ち合わせがなく、しかも深夜なので両替もできず困り果てた。大好きなコーヒーも飲めず、喉はカラカラ。萩城までの20㎞近くは、脱水症状のありさまとなった。
5月4日午前11時、すべてのチエックポイントを通過。最後の難関、歴史の道「萩往還」が目の前に現れた。残り30㎞を走破すれば完走できるのだと思うと、体の奥からジワジワと残リのエネルギーの塊が出てくるのを感じ、新たなファイトも湧いてさた。
私の歴史的瞬間は、5月4日午後3時54分44秒、27番目に山口市瑠璃寺のゴールを切った。喜びがどこからともなくこみ上げてきた。やったのだ。自分は挑戦二度目にして念願の完走を果したのだ。250㎞を走り抜いたわけだ。
ちなみに今大会の完走率は、17・5%、非常に厳しいレースであった。私のタイムは、45時間54分44秒。沖縄県人の初ゴールというおまけまでついた。
ウルトラマラソンの世界は、苦しいことばかりではない。人と人との出会い、小鳥のさえずりや美しい草花とのふれあいは何ともいえない。朝もやの中、パノラマ写真のように広がる壮大な自然、さまざまなすばらしい世界が堪能できた。
来年もまた、私は風景の美しい萩を味わっているはずである。