「鳥」になり「風」になり つきしろ 大城和則
5月5日早朝、みんなまだ寝ている。帰り支度をしている時<自分はすごい事をやり遂げたのだな>と実感した。夕べ、宿の女将さんから「この宿から初めての完走者だよ」と祝福されたことをかみしめた。
国内最長の250㎞の「山口・萩往還マラニック大会」は、休憩、仮眠をとりながらのランで、秋吉台、青海島の北長門海岸国定公園、歴史の道・萩往還等、十四市町村を四十八時問の制限時間内で駆け抜ける過酷なレースである、近道ができないように、俵島、川尻岬、千畳敷、鯨墓、笠山、虎ヶ崎、東光寺の七か所のチェックポイントがある。誰が、いつ通過したかすぐわかるところでもある。
私は、すべてのチェックポイントで県内参加者のなかでトップを走っていることを知ることかできた。
今回は二度目のチャレンジ。初回より荷物の軽量化を図ったことと、練習では努めて長い距離を走っていたので自信はあった、前回の失敗した経験を究明し、改善して約四カ月間、練習に練習を重ねての挑戦だった、五月二日午後六時、夕やみ迫るころ、沖縄県からの参加者五人と一緒に、元気よく山口市瑠璃光寺前をスタートした、私は250㎞というとてつもなく長いレース旅なので、距離のことは頭から除さ、風景の中に心身ともに融けこませて「鳥」になったり、「風」になったりと夢見るような感じで、楽しく走ることを心がけた。
思えば練習期間中、何度か挫折も味わった。〈やはり完走は無理だ〉と落ち込んでいる時、息子達や親しくしているジョガー仲問から励まされ、その都度思い直し、走りに走った、つきしろの街の自宅から実家のある今帰仁まで走った時などは、母親から「お前は、頭がおかしくなったのではないか」とさえいわれ、逆に気落ちしたこともあった。
五月三日晴れ、中問地点の125㎞・千畳敷に、午前11時30分に着く。体のどこにも異常なし、レースの半分を好調の内に終えた、ランナーの約半分か、この時点でリタイアすることになる。
日本海の大バノラマを見おろし、うどんを食べ、大好きなタバコを一服。我か身に〈お前、あと半分の距離、大丈大か〉とたずねる。体からはOKの快い返事。さあ、出発だ。
(つづく)