さしき…、サシキ…、なんと懐しい響きの名前でしょう。美しい名前のこの町に、甘い香りのシュガーホールが誕生、これから一年間このホールのスタッフとしてお手伝いさせていただくことになりました。
本職は、琉大の教師兼作曲家。全国的なフット・ワークで仕事をしている関係上、各地の文化行政や、音楽ホールとの関わりが深いものですから、運営の審議委員には気楽に応じましたが、正直いってスタッフの一員にと請われたときは悩みになやみました。全国に誇れる素晴らしい施設、でも人ロはたったの一万一千人余、町民の方々の音楽活動はまだまだこれから…。
にもかかわらず心があらわれる美しい自然、と言いつつ足を運ぶたびになんとはなしに感じてしまう海や山からの霊感(シジダカサー)。
魅かれるところは多くあったのですが、本業と両立できるかの板バサミでした。でも決断の決め手は、サシキンチュの、音楽の町づくりという途方もない夢への深い感動でした。
民生主義といった政治体制、自由経済という体制はたかだか200年ぐらいの歴史しかありません。有史以来の民族の調和という人類平和への希求も未だ実現していません。にもかかわらず、音楽と舞踏は人間が文明化する以前から脈々と受け継がれ絶えることがありません。すべての人間の心の奥底を流れる地下水脈のように…。
そして、音楽と舞踏は、民族を越えて人の心を結びつけてきました。そのための礎となるならばと決心したのです。
この一年間ホールを訪れるひとびとは、外国人もふくめて200人余。次回からは、その人たちの横顔を紹介しましょう。サシキンチュとの深い出会いがあるように祈って・・。
(琉球大学教授)