なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

200号発刊に寄せて  歴代広報マンが語る「広報と私」

「ああ懐かしき日々」仲村武一氏
6号~32号発刊
「広報さしき」200号の節目にあたり、広報担当当時の記憶をたどりつつ簡単にまとめてみ
たい。
広報の使命は、読みやすく、わかりやすく町内における過去と現在の様々な事柄の事実を
広く町民へお知らせすることである。特に見出しと紙面への割り付けには気を配ったよう
な気がする。見出しの付け方の如何によって、その広報が生き生きとした紙面になるか、な
らないかが決まるので、一見してその内容がわかるように配慮することが大切だと痛感し
たものだ。
当時、私は素人であり、充分に広報の使命を発揮することが出来なかったので、今振り返
って甚だお粗末な広報を発刊していた事を恥入っているところである。現在は、毎月の広報
が届くのを心待ちにしている。今後も益々充実した広報の発刊を念願し、当時の想い出の一
端を記して筆をおきたい。

「広報は私の財産」與那嶺紘也氏
33号~55号発刊
「広報さしき」が創刊200号を迎えるという。タブロイド版の占い広報紙をめくるとき、
新たな感慨がこみ上げてくる。
かつて教育委員会に勤務していた項、「教育時報」の発刊にかかわった関係で、広報には
大きな興味と期待を持っていた。やがて総務課に異動となり、財政係と兼務ではあったが、
私は自ら進んで広報も担当させてもらった。町のあちこちを駆け回った。多くの人たちの声
を聞き、先輩や同僚に励まされ、知恵を絞って記事を書いた。お陰で役場内部の動き、町の
様子がよく見えるようになった。広報係の貴重な経験は、その後の行政における私の歩みを
支えているといっても過言ではない。広報係をやって本当に良かった、振り返ってみて心か
らそう思う。
「広報さしき」の発刊に携わった先輩諸氏のご尽力に感謝申し上げるとともに、後輩諸君
の奮闘を期待してやまない。

「町民に支えられて」渡名喜元久氏
56号~126号発刊
私が広報の仕事に携わったのは、昭和54年の4月。税務課から総務課へ、それも広報と
町史の担当とは、驚きと恐れに2の足を踏む思いであった。
学生新聞の編集に少しは関わったという経験を持つとはいえ、町の出来事を町民の皆さ
んに広報するという大それた仕事が、果たして自分にできるのか、最初の広報(56号)が刷
り上がるまでの不安は今でも思い出す。
常に住民の皆さんと親しくさせていただいたことが、広報の仕事に大いに役立った。結局
広報係8年の長きにわたって多くの人々の協力を得、126号まで編集することになる。
その間、不定期に発行されていた広報が定期になり、今では200号に達するという。でも
やはり広報は発行回数よりも内容だと思う。
あくまでも住民のための広報だという発刊以来の編集方針を貫き通してほしい。「広報さし
き」の充実と発展を祈念する。

「あの日・あの時」山城馨氏
127号~178号発刊
広報担当を離れ、よもや筆をとる機会はないと安堵していたが、つたない一文を寄せるは
めとあいなった。
昭和39年の創刊以来、先輩諸氏のたゆまぬ努力、多くの人達の理解と協力で築き上げて
きた「広報さしき」が200号の節目を迎える。
省みて、あまり意欲的に仕事に取り組んだとはいえないが、それでもなにがしかの感慨を禁
じえない。カメラを片手に休日の催しものを追いかけて飛び回った日々。原稿用紙を前に
遅々として進まない鉛筆を恨む。泡盛片手に脳味噌に刺激を与えると意外とはかどったこ
ともあった。
広報係の職務は、多忙でおっくうで投げ出したい場面が多いことは確かだ。孤独感に陥る
こともある。でも、周りには支えてくれる人がいる。プラス志向をすればやりがいのある仕
事でもある。予に取って読まれる紙面づくりを心がけ、後輩よ頑張れ。

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大分類 テキスト
資料コード 008446
内容コード G000000643-0003
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第200号(1994年3月)
ページ 6
年代区分 1990年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1994/03/10
公開日 2023/12/05