なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

第10回「女性の翼」に参加して

各国女性団体の活動に圧倒   
佐敷町婦人会会長 志村 政子

沖縄県の女性をアセアン諸国へ派遣し、教育、文化、福祉施設等の視察、各種制度の調査・訪問先の女性団体との交歓、交流を通して国際的視野を広め、国際理解、国際親善に寄与するとともに、女性の地位向上、社会参加の促進を図り、「平和で心豊かな沖縄県づくり」に貢献する女性指導者の育成を図ることを目的として実施されている沖縄県女性酒外研修「女性の翼」へ参加させていただいた。研修地アセアン4ヵ国(インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ)におけるボランティア活動、その国の国情などについてまとめ報告としたい。
研修は、9月5日から15日までの11日間で、訪問国は4ヵ国、研修員は県下より15人、県より1人の計16人で、1国2泊ないし3泊の研修であった。
最初の研修国は、インドネシアのジャカルタで行なわれた。そこでは、市場見学、医療施設訪間、PKK(民間ボランティア団体)との交流会が実施された。紙面の都合もあり、ここではPKKの活動について紹介したいと思う。
PKKとは、71の組織からなる民間ボランティア団体で、国、県、地方にリーダーがいて、その活動は末端まで行きわたっているとのことだった。10の主要活動があり、例えば健康、衣食住、教育、生活環境などである。活動は主として、貧しい農村や地方を対象に行なわれていた。
私が、特に関心を持った活動は次のとおりである。
1、これまで生活環境の整備が悪く、5歳未満の子どもの死亡率が高かった。そこで、現在、政府と協力して生活環境の整備に取り組んでいること。その活動内容は、①木を植える ②良い食べ物をつくる ③子どもの健康を守るため、母乳による子育ての奨励や乳児健康相談など―以上3点を重点的に取り組んだ結果、最近乳児死亡率が減少しつつあるとのことであった。
2、経済力が弱く、生活がスランプである人は、結婚、入籍もせずに子どもを生んでいる状況である。届出なければ、国の援助をもらえないので、こういう人々の結婚や入籍の世話をしているとのことであった。
3、500人もいるといわれる売春婦の指導、仕事の斡旋など。
4、道で物を売っている子ども達の多くがみなし児であり、その子ども達の里親の世話。
5、貧困を減らすため、教育をさずける運動。(インドネシアは、小学校6年、中学校3年の義務教育はあるが、貧困家庭が多く、学校が遠いということもあって就学しない子どもが多い。また、教室が少ないことや教師不足もあって、午前午後の2部制がとられている)
以上のような状況下にあって、地方に行く程、文盲が多いということであった。
インドネシアは、教育が先か、経済かとゆれているということであったが、「教育こそ貧困から脱却する唯一の道」と目下教育による人づくりに取り組んでいるので、これからは良くなるだろうと話していた。インドネシアは、まだまだこれからの国で、ボランティア活動が期待される国なのである。
シンガポールでは、NTUC(全国男働組合総評議会を訪ねた。NTUCとは、シンガポール労働組合ナショナルセンターとして、1961年に設立されたものである。そこでま、組合員が、生活協同組合、NTUCクラブ、シンガポール労働基金、保育所、スーパーマーケット、保険、リゾート施設、アパートの経営など数々の事業を行なっている。
シンガポールは、第2次世界大戦の1942年から1945年までの3年半、日本の占領下におかれ「昭南島」と呼ばれていた。このことについては、すっかり記憶から消えさっていたのであるが、交流会で隣席していた婦人から、あの頃を「悪夢の時代」と親達が言っていたと聞かされびっくりした。
1946年には再びイギリス領にそして1965年、主権国家として完全独立を果たした若い国である。その発展ぶりには、目を見張るものがあった。
総人口の48パーセントが25歳以下という国もめずらしい。NTUCでは、若い女性の
リーダー達の活躍が目立っていた。
クリーン&グリーン(清潔と緑)をモットーとするシンガポールの街並みは、とても美しく、道幅も広く緑も濃かった。緑は、人の心に安らぎを与えると言われているように、「住んでみたい」と思う国の1つであった。
マレーシアでは、国家社会開発省と女性対策省を表敬訪問した。女性対策省は、1938年に創設され、現在国務大臣の下に置かれている。
目的は、次の2つである。 ①発展向上のため、女性の参加を促進すること ②女性の機会均等や待遇改善のための法律を通して、女性の地位向上を図る。マレーシアは、男女平等、人種平等に取り組んでおり、意志決定には女性を入れることを運動の中に取り入れて活動している状況である。また、現在、国会で3人の女性大臣を出し、地域にあっても30パーセントが女性であるとのことだった。
教育においても男女平等であるが、男と女どちらを上級学校へ進学させるかという時、女性を優先するという。その理由は、「家庭教育の担い手は女性であり、女性を教育することは、良い子を生み育てるから」ということなのである。着眼点のすばらしさに、1同びっくりしたり、感動したりの研修となった。
最後の訪問地タイでは、タイ国農業人材育成アジアセンター、プラティブ財団、婦人厚生施設、重度身体障害児施設を訪問した。また、最後の日には、民間大使の湧上和夫氏(玉城村出身)の歓迎タ食会へ招かれ、過分なもてなしを受けた。
タイ国は、自給率120パーセントと物がありあまっている国であるとのことである。「物質をとざされては困らないが、仏教を取られるとタイは滅びる」と言われる程、宗教心の強い国でもあるという。
タイは、麻薬、エイズの感染者が多いとの説明も受けた。「宗教心の強い国でなぜ?」と疑問であったが、婦人厚生施設を訪問して"なるほど"とうなずけた。
プラティブ(ともしびの意)財団は、麻薬の僕滅運動、エイズ感染者のカウンセリング教育を中心に活動している福祉財団である。
資金協力は、ボランティア、又は外国からの援助によることが多いという。タイの精神形態として、資金援助をすれば利益が大きいという考えから寄付者も多いとのことである。
プラティブ財団には、ボランティアとして地域の方々が係わっている、半日、1時間、自分の空き時間を奉仕するという方法である。
義務教育については、6年までであるが、家庭の都合で4年で終える子が多いとのことである。また、6年を終わると後は親の金力によるとのことである。
タイを走る車の94パーセントが日本車、工場の85パーセントが日本、台湾、中国、
インド等である。都市を中心に工業化が進み、農村から仕事を求めて若者が都市へと流出し、農業の衰退が懸念されているのが現状である。
タイは、世界唯一の米の産地で知られる国であるが、一方では、農薬による害で男性の
死亡が多く、未亡人村と称されている所もあるという説明を受けた。
今回巡ったシンガポール以外の3国の震業は、総て人力によって行なわれていた。しかし、最近特に、若者の農業離れが多く、後継者問題も深刻化し、土地を手離す人が増えつつあるということだった。
重度障害児施設(5歳から18歳が入所)では、ビデオで訓練法などを見せてもらった後、施設全体を見学した。残された機能を十分に活用して、生き生きと活動している姿には、心打たれるものがあった。
この施設では、「肉体的な不自由は、なんだマイナスではない」との教育方針で、障害に応じた特殊な訓練を行ない、日常生活が出来るところまで指導しているとの説明があった。
福祉については、アセアンから学ぶことが多いと聞いていたが、宗教心の強い国々であり、深い絆で結ばれていることを強く感じた。
11日間にわたり、4カ国を訪問、交流、交換、視察、見学の旅であった。それぞれの国の文化、歴史を学び、そこに息づく女性達の躍動、国を思う熱い心のネットワークの中での生き生きとした活動を学んだことによって「ボヤボヤしていると今に追い越される」そういう思いにかられたのは、1人私だけではなかったと思う。
今、自分に何ができるかを考えた時、「ひとりの小さな手、何もできないが、みんなの手と手を合わせれば何かできる」の心境である。
研修で得たものは、非常に大きいものがあった。他国を学んで、自国の有難さが身にしみて感じられた。このような意義深い研修へ参加できたことに感謝したい。

ダウンロード
大分類 テキスト
資料コード 008446
内容コード G000000639-0013
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第196号(1993年11月)
ページ 8-9
年代区分 1990年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1993/11/10
公開日 2023/11/30