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第24回 佐敷町婦人の主張大会 最優秀賞

我が家の子育て奮闘記
佐敷町婦人連合会手登根支部  宮城由美子
「中学生集団暴行致死事件」県民に大きな衝撃を与えるニュースが前日飛び込んできました。
もし、自分がその子ども達の親であったなら、そう考えた時、目がくらみ、背筋がぞくっとするような思いが致しました。
去年、沖縄では過去、例のないようなむごい事件が起こり、教育関係者PTA関係者をはじめとし、あらゆる所で緊急集会が開かれ、2度とこのような事件が起きないようにと願っていた矢先に、再び事件は起きてしまいました。もう歯止めがきかなくなったのでしょうか。「親として何とかしなければ」と誰もがそう思った事でしよう。
将来のある14、5歳の子ども達がこんな重荷を背負ってこれから生きていかなければならないなんて。又、まだあどけなさが残る尊い命が消え去った現実をしっかり受け止め大人達は何をしなければならないのか、今一度考えてみたいものです。
私には3人の子どもがいます。職業訓練校へ行っている長男、高校生の2男、小学生の長女です。私達夫婦にとってどの子もかけがえのない子どもに変わりありませんが世間の枠にはめてみますと、悪い子、良い子、普通の子とバラエティーに富んでいます。
今日は、つっぱっていた長男によって気付かされ、教えられた事を話してみたいと思います。
「三つ子の魂百まで」といわれる大切な時期に仕事に明け暮れ、寝ている子どもを起こし保育園へ送る。帰宅後は家事に追われまとわりつく子どもを抱きかかえる事もせず、又本の読み聞かせもろくにせず幼児期を送らせてしまいました。好奇心が旺盛で石橋をたたかず渡ってしまい後悔するタイプですので「この子から目を離してはいけない」との思いが常に頭の中にある為、過干渉になり、子どもにとって迷惑な親と変わって行く自分に「子どもの為」といい聞かせ一心で育ててきました。小学校の時は成績も良い方で、学校代表で地区陸上にも参加する明るく活発な子どもでした。中学校の入学式も待ちきれず部活動に参加するようになり、それに生き甲斐を見い出しているようでした。
しかし、それに伴い、体は疲れ、学習意欲の低下等で成績は下降線をたどるだけ。そんなおり、学力向上対策委員の一員である主人を通して又、学校やマスコミ等で学力向上という言葉を耳にするようになりました。学力の必要性や文武両立のむづかしさ等を話し合う事が多くなりました。本人のあせりは親が思う以上のものがあったようです。
中学2年の時、一見して非行少年と思える格好をした友達を連れて来たのです。その時私は、快く彼を迎え入れる事が出来ませんでした。
「朱に交われば赤くなる」の諺を通し、赤くなるのではなく、赤を白にする勇気を持ってほしいと話すようになり、又、願っていました。親の気持ちを尻目にどんどん変化して行き、それを楽しんでいるようでした。
何かで自分をアピールするものがある子は幸せです。勉強で、スポーツで、それも出来ない子ども達はどうなるのでしょう。非行の始まりは服装の乱れからと言われますが、何とか自分の存在をアピールしたい。又、自分に目を向けてほしい、と言うひとつの心理状態ではないでしょうか。そうなった子ども達に学校や行政、親とそれなりの対応はしていると思いますが、持に親は、下手であっても家庭での指導に手抜きのないような努力が必要ではないでしょうか。私達夫婦もあらゆる方法で子どもにかかわってきました。
中学3年の時、授業中なのに学校から帰って来たのです。「明日から学校へは行かないから」と言い自室へ閉じこもったのです。やってもない罪をなすりつけられ、大勢の生徒の前で足げりにされたそうです。プライドを傷つけられ、言いようのないくやしさで帰宅した子を今度は私が叱ったのです。「親も先生も一緒だ」と言い、泣きながら布団にもぐり込みました。今後の子どもの為に誤解を解いてやる必要があると考え主人と共に、話し合いに学校へ行き、翌日は普段通り登校しました。
子どもを通して多くの出合いもありました。グループの親との情報交換や担任の先生との連絡を密にすることで子どもの状態が一層把握できます。その事は大変重要だと思います。幸い、子ども達の親は学校行事ごとに積極的に参加し、早く良い方向へ導こうと前向きな考えを持った方が多かったのも良い点でした。
「赤信号皆んなで渡ればこわくない」というように集団心理が働き、喫煙がばれ15人程の親が呼び出しを受けました。そんな時は父親の出番です。呼び出しを受けてもこない親もいるし、母親任せの多いのにも驚きです。夫婦で常に学校とのかかわりを持つという事も子どもを改心させる1つの方法ではないでしょうか。
人は格好で人間を評価する傾向にあります。つっぱっている子ども達はとてもデリケートな神経を持っていて、大人の気持ちに敏感に反応するようです。悪いものでも見るようにして通り過ぎる大人、あいさつをしても返してくれない大人、そりを入れてあるなら、その子の人格さえ認めてもらえない、そうなった時、子ども達はどうなるのでしょう。心を閉ざし、大人に反発し、聞く耳を持たず自分自身をどんどん窮地へ追い詰めてしまう。子どもの目の高さで、愛情のある一声を待っているのではないでしょうか。
私達夫婦も子どもと共に前進したり、後退したり、又、から回りしたり、あらゆる事を経験しました。顔を見るなりお互いぐちになるような時は、彼の部屋にメモ書きをはったり、両親への不信感を募らせた時などは、育児日記を枕元へ置いたりして対応した事もありました。
子育てに疲れ、なげやりになり、自分自身を見失いそうになった時、主人の一言で目が覚めました。「もっと子どもを信じてあげなさい。必ず分かってくれる時が来る」と。
私は、昔の人達がやってきた他人の子どもも我が子という気持ちで子どもに接し、夫婦が常に信頼し合い、子どもを信じ、子どものために一生懸命事にあたっている姿を見せることが改心へつながる一つの良い方法だと思います。
3人の子どもが素直に育っていたなら、私は見栄とプライドの固まりのようなおろかな母親のまま人生を送っていたことでしょう。私に人の痛みを感じ取れる人間にしてくれたこと、苦難に絶える力を与えてくれたこと、今は、この長男に大変感謝しています。(全文)

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大分類 テキスト
資料コード 008446
内容コード G000000637-0018
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第194号(1993年9月)
ページ 8-9
年代区分 1990年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1993/09/10
公開日 2023/11/30