文化フォーラム in さしき開催
至上の音楽に親しみふれるホールが、私たちの身近に実現します、沖縄県で専用ホールの時代がいま、佐敷町から始まろうとしています。町文化センター(仮称)は、町民文化会館的施設であり、そのホールは音楽を創造する機能と器材を備え、舞台芸術を最高の状態で提供します。フォーラムは、音楽とまちづくりをめざし…。
熱こもる提言の数々
音楽に親しみ、創り出す動きへ
本格的音楽堂とは―。7月11日午後2時、文化フォーラムinさしき「音楽とまちづくり~豊かさから美しさへ」が町老人福祉センターで開催されました。
町内外から関係者が集う中、フォーラム開催の前に、小野寺弘志氏(宮城県中新田町バッハホール音楽院理事)の「私とバッハホール」と題した、ホールの運営には町の人々の参加が不可欠との基調講演が行なわれました。また、宮城理恵子氏によるチェンバロ演奏も行なわれ、聴衆を魅了していました。
パネルディスカッションでは、宮城鷹夫氏(町文化協会会長)をコーディネーターに各分野の5氏、祖堅方正氏(県立芸大教授)、中村司氏(野村流古典音楽保存会)、宮城信治氏(パレット市民劇場館長)、小波津繁雄氏(那覇市立石嶺中学教諭)、渡名喜明氏(琉大助教授)がそれぞれの立場から音楽とまちづくりについて提言。聴衆は熱心にメモを取っていました。
パネルディスカッション終了後フロアからは、多くの質問カードが寄せられ、音楽を核としたまちづくりに対する関心の高さが示されていました。
町民と行政、専門家が同じテーブルで「音楽とまちづくり」について、活発なディスカッションを繰り広げました。町文化センターを文化面からのまちづくりにいかに生かしていくかが語り合われ、今後の施設利用の展開のあり方が具体的に検討されていました。
宮城鷹夫氏 (町文化協会会長)
私たちのこのまちにすばらしいホールができあがります。観客席500人程度の小型ではありますが音響条件などコンサートホールとして沖縄ですばらしい唯一のホールになるのではないかと期待しています。しかし、いくらいい施設であっても運営のあり方によってそのホールが生きるかどうかということになるのではないかと思うわけです。では、どのような方法が良いのか5人の専門家の先生に語ってもらいます。
祖堅方正氏 (県立芸術大教授)
ホールも大事な楽器
演奏家はよりよい音を出す楽器を求めている。ホールも大事な楽器だ。どんなによい音でもホールが悪ければダメ。いいホールで演奏した時は、言葉で言い尽くせない喜びがある。音楽会は演奏家だけがつくるものではない。お客さんの熱意も大事だ。いいホールだと口から口ヘ伝われば、音楽家は集まってくるものだ。佐敷町のこのホールが沖縄の音楽文化の発展につながると確信している。
中村 司氏 (野村流古典音楽保存会)
マイクなしの演奏を
歌三味線の大きな特徴は絃声一体だ。戦後、琉球古典音楽は、音響機材を使って演奏してきた。ホールができれば、歌三味線本来の細やかな味わい、三味線の「型」による音色の違いなども享受し勉強できるだろう。日ごろから音の表現を勉強できるいい機会になるのではないか。それが、琉球古典音楽の忘れさられていた基本にもどるものだと思う。マイクを使わないでどう表現できるかこのホールで試してみたい。マイクなしの演奏に期待をこめている。
宮城信治氏 (パレット市民劇場館長)
町民の参加が不可欠
ホールは、舞台、演者、観客が一体でなければならない。これまでは利用者まかせの貸館ホールが主だったが、これからは自主事業の充実が大事だ。自主事業は、地域の文化をいかに創造していくかだ。行政中心ではなく、工夫した共催事業や企業との協賛事業もできる。情熱と意欲のあるスペシャリストの配置と育成も必要。また、ホールを支えるのは町民。舞台を良くするも悪くするのも町民にかかっている。町民の参加が何より大切。このホールが核となって佐敷町の音楽のあふれるまちづくりの中心になるような施設にしてほしい。
小波津繁雄氏 (那覇市立石嶺中教諭)
目標となるホールに 佐敷町のホールは、小、中学校に近く立地条件がすばらしいと思う。このホールで町内の子ども会が演奏会や発表会を催すことによって得たものを県大会で見本となれれば良いと思う。人は環境で育ち、環境は人がつくる。音楽的雰囲気を備えたホールが大切だ。いいホールでは、感動、充実、満足感がえられ、意欲を注ぐものだ。それがあればこそ、子どもたちは力を発揮することができる。子どもたちにとって目標になるホールになってほしい。
渡名喜 明氏 (琉球大学助教授)
機能を充分活用して
このセンターは音楽専用と中央公民館的な機能を備えている。この機能を活用して、図書室や視聴覚室に、数多くの音楽図書やCD、LDを用意して、演奏が無いときでもだれもが音楽を鑑賞できるような施設であってほしい。また、図書、CD、LD以外にいろいろな楽器や歴史的な音楽資料、写真などを収集し、展示することによって、音楽に対する知識を広め、深められるような音楽博物館的機能を備えてほしい。例えば、モーツアルトの誕生日には、その講座を開くといった企画も考えられる。周辺的な活動が大切である。
基調講演
『私とバッハホール』 小野寺弘志
仙台から60キロ、車で約40分で中新田という町に着く。人ロは14500人。
昭和52年に本間俊太郎(現宮城県知事)という人間が町長になり、町の長期構想として歴史と音楽で生涯学習の方向付けをしようということになった。その文化活動の拠点としてホールをつくることになった。それがバッハホールです。ある時、町民が参加して何かやろうと、日本一の指揮者芥川也寸志さんを呼んでベートーベンの第九をやることになった。多くの町民が集まったが譜面もドイツ語もわからない人ばかり。譜面に力ナを振って日夜一生懸命練習した。どうにか公演にこぎつけた。終わった後の感激は、われわれ町民の最大の宝物になっている。その後、芥川先生が「これは日本一の音響のホールだ」と雑誌に書いてくれて、いろんな演奏家が公演や録音でいらっしゃった。演奏家と町民の交流も広がった。地域活性化、文化などすべてバッハホールが拠点になっている。ホールができて12年になるが大事なのは、行政まかせではいけないということ。町の人々が参加することが不可欠。
バッハホール音楽院というのがある。ホールができて、次々に教室ができ、それが独立して音楽院になった。今年の5月に初めて音楽院の演奏会をやった。その中から、地元の高校生2人と小学生1人の3つの星が生まれた。ホールをつくったときの夢が「50年、100年先でもいい。このホールから本物の演奏家が育ってくれれば」ということだった。
こちらのホールの大きさも町民の数もほぼ同じ。ぜひ、兄弟ホールになってお互いの子どもたちの交流などできたらと思う。(要約)