なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

さしき・ハワイ少年の翼に参加して

習慣の異いを実感
知念高2年 安里昌一郎
「アロハ」の声に迎えられて、僕たちはホノルルの空港に着いた。ハワイの第一印象は、暑いということだった。初日は、ピクニックヘの参加。このピクニックで、あるおばあさんと知り会った。このおばあちゃんはいきなり僕を見て、「安里昌英さんのお孫でしょ」と言った。僕は、いきなり祖父のことを言うのでびっくりした。このおばあちゃんは、祖父と僕がそっくりなので声をかけたと言った。僕は、50年たっても人の顔は覚えているものだと思いびっくりした。
YMCAキャンプでは、グループで泳いだり、キャンプファイヤーをしたりとても楽しかった。アメリカの女の子達は、辞典を使って一生懸命日本語で話しかけてきた。アメリカの遊びとかも教えてもらって、あっという間に3日間のキャンプが終わった。そして、5日間のホームスティが始まった。ホームスティして気づいたことは、食事は家族といっしょに取る、子どもが親の手伝いをよくする、男の人がよく台所の仕事をするなどだ。日本では、台所の仕事は女の仕事と思われているが、アメリ力では、男の人がよく台所に入っている。こういう点は、日本よりもすすんでいると思った。
アメリカと日本の間で、大きな習慣の違いが2つある。レディーファースト制度とチップ制度だ。アメリカでは、どんな時でも女の人を優先する。店に入る時なんかは、男の人がドアを開けて女の人を先に通す。日本人の自分は慣れてなかったので少し照れくさかった。また、チップ制度は、とても面倒くさいもので、レストランのウェイター、タクシードライバー、ホテルのメイドなどありとあらゆるところにチップが必要だった。そのかわり、サービス面は万全でしっかりしていた。
丸5日間のホームスティを終えると、観光やショッピングを楽しみ、見聞を広めることができた。
いよいよ沖縄に帰る日がきた。その日は、ホストファミリーも見送りにきてくれた。別れる時、悲しかったけど笑って過ごした。またいつか会えると思うと気が楽になった。
最後に、ハワイはとてもいい所であると思う。人々は優しく、海はきれいでとても過ごしやすい、僕は沖縄に似ているなあと思った。

印象深いふれあい
那覇西高3年 玉城舞登桂
やっと手に入れた外国への旅。私はこの時が来るのをどんなにまったでしょう。出発の日、ここからは何もかも初めての体験でした。頭の中でハワイとはどんな感じだろう、ドリーン先生もきてくれるだろうか、ずっとそんなことばかり考えていました。そして、飛行機に乗って7時間余り、とうとうハワイに到着したのです。私がハワイヘ到着して驚いたのが「レイ」。空港には多くの人が迎えに来ていたのですが、みんな私たちを見るなり次々と首に花や毛糸で作ったレイをかけてくれたのです。すごい歓迎ぶりに、うれしくなったり感動したりでした。そして、ドリーン先生との3年ぶりの再会-。
私たちは、2週間で、ピクニック、YMCAのキャンプ、ホームスティ、観光とたくさんのスケジュールをこなしてきました。その中で、YMCAキャンプとホームスティは、私の一番の思い出に残るものです。YMCAキャンプは、3日間を子どもだけで生活するということでした。もちろん皆英語です。これは英会話の実践のようなものでした。初めはうまく話が通じずとまどっていたのですが、みんなも辞典を使って理解しようとしてくれたので1日を過ぎるとどうにか会話らしくなってきました。みんなそれぞれドイツやオーストラリア、アメリカと数力国の人が集まってできたグループで、その国の習慣などたくさん学ぶことがありました。
また、ホームスティでは、すごく親切にされ、本当の家族のように買い物の相談をしたり、おしゃべりしたりして過ごすことができ、ホームスティとはすばらしいものだと思いました。
私たちは、ハワイでは、じかにその国の生活を体験したり、近くのショッピングセンターでお土産げではなくちょっとした買い物をしたりと観光客とは違った体験やハワイの良さというものを知ることができたと思っています。私たちは貴重な体験をしたと思っています。
2週間の研修を終えた今、私はもうハワイを隣リ近所だと思っています。ハワイは思っていたよりすごくいい所です。人々も皆親切です。私はとても大きなチャンスをものにしたと思っています。
また、いつか近いうちに私の第二の故郷、第二の家族に会いにハワイヘ行きたいと思います。

忘れられない体験
佐敷中2年  宮城善見
7月26日、僕たち6人は、2ヵ月程前からの事前研修を終えて出発しました。
ホノルル国際空港では、佐敷中学校の英語教諭の名護先生の両親とドリーン先生が迎えてくれました。
ハワイに着くと、僕たちは最初にアラモアナ・ビーチ・パークヘのピクニックに参加しました。ピクニックに参加していた人は、外見は沖縄の人のようでしたが、彼らは皆、日本語を話さず英語を話すのです。なぜなら、その人たちは、佐敷・知念からの移民の三世・四世だったからです。しばらくすると同志会の人たちにも慣れて、ゲームを楽しみ、また僕たち団員が佐敷音頭を披露するなど、時差ボケする暇もありませんでした。
7月27日、YMCAキャンプヘ参加しました。そこでは、他国の人も一緒に、キャンプファイヤーなどを楽しみました。キャンプで一番楽しかったことは、シュノーケルを使って水深15メートル程の所を泳いでいる時、直径50センチぐらいの海ガメを見たことです。その時は、興奮して胸が苦しくなり息がしにくくなりました。
ハワイに着いて5日目、待ちに待ったホームステイです。僕は、糸数さんというホストファミリーの家に泊まりました。糸数さんの家にはプールがあり、用事がない時は、ほとんど泳いで過ごしていました。
ハワイには、父の高校時代の友達がいます。その友達は、夜はヘリコプター会社に勤めていたので、僕と昌一郎君は、ヘリコプターに乗せてもらいました。教育長に許可をえてヘリコプター会社に行き、夜8時にヘリコプターに乗りました。初の体験に足がすくみそうでした。しかし、3分程飛ぶと慣れて夜景を見ることができました。また、その日は、たまたまフェスティバルがあったらしくヘリコプターから花火を見下ろすことができ、とても感激しました。
このように多くの経験をしているうちに日本に帰る日がやってきました。その日は、空港にホストファミリーや名護先生のお母さん、ドリーン先生が見送りに来ていました。僕は、飛行機に乗りこむ時、ホストフアミリーやドリーン先生、他の人々に「See you again」と何度も言って別れました。
「少年の翼」に参加していろんな体験をすることができたことに、両親や町に対し、感謝の気持ちでいっぱいです。

『塾』のないハワイ
佐敷中3年  宮城文香
私たち団員6人は、13回の事前研修を終え7月26日の午後沖縄を出発した。時差ボケしないように、飛行機の中ではたくさん眠るように言われていたが、寝心地が悪いせいもあってよく眠れなかった。
大阪から7時間30分も飛行機に乗ってホノルル空港に着いた。空港では、ドリーン先生たちが迎えに来ていて、レイを首にかけてもらった時、改めて「ああハワイにこれたんだ」と強く実感でき、とてもうれしかった。
空港からすぐに私たちは佐敷・知念同志会のピクニックに参加した。同志会の方々はみんな親切にしてくれて、ゲームにも参加して楽しかった。
YMCAキャンプで、私たちは、ハワイアンソングをならった。そして、6人でみんなの前で歌わされたので少し恥ずかしかった。その後、おばあさんに「雨雨ふれふれの歌」を歌ってとたのまれた。少しあぶなかったがどうにか歌えた。どうして、この歌を知っているのかと不思議に思った。
ホームステイでは2人ずつに分かれて滞在したので心強かった。お父さんとお母さんは少しは日本語が話せたが、子ども達は全然通じなかった。私と同じ年の女の子がいたが互いに文化の違いに驚いた。学校の仕組みも違うし、生活習慣も違っているので、自分たちの話をしたり聞いたりするのがおもしろかった。日本の塾の事を話したら感心していたが、私たちは塾のないというハワイをうらやましく思った。
ハワイ島、マウイ島観光ではいろいろな所を回って忙がしかったが、一番印象に残っているのがマウイ島で乗った砂糖キビ列車だった。他にも多くの体験ができたし、友達もできた。ハワイに行く事が出来てよかったと思う。
いよいよ帰る日、空港までホストファミリーが見送りに来てくれたが、もう会えないかもしれないと思うと悲しかった。でも飛行機の中で「ぜったいまた来るぞ」と思った。

第二の家族ができて
佐敷中3年 真栄城利江
事前研修を終え、7月26日午後、那覇空港を出発しました。大阪空港で乗り継ぎ、7時間30分でホノルル空港に到着。ホノルル空港では、入国手続きを自分でしなくではならなかったので怖かったです。空港で出迎えてもらい、ドリーン先生の車でカピオラニ公園に向かう途中、ドリーン先生がいくつか質問しましたが何を言っているのか全然わからなくて、「本当に2週間生きていけるのかなあ」と不安になりました。
初日にホストファミリーに会うことができ、とても親切でいい人だったので少し安心しましたが、なじめなくて困ってしまいました。
2日目からは、多国の子ども達とのキャンプが始まり、ホストの方々とは緊張して話せなかったけど、キャンプでは、失敗したり、先輩達に助けてもらったり、ジェスチャーをしたりして、自分の言いたいことはほとんど相手に伝えることができました。
キャンプが終わると5日間のホームステイの始まりです。初めて会った時の、なじめない感じが強くて泣きたい気持ちでした。でも、お父さん、お母さんがハワイの事や英会話をとても親切に教えてくれたので、だんだんとけこんで話をするのが、とても楽しくなり、あっという間に5日間が過ぎてしまいました。
最後の日程のホノルル観光では、パールハーバーに向かう途中の説明がとてもためになりました。沖縄は戦争で大きな被害を受けましたが、ハワイの人々も大きな被害を受けていた事を知ることができました。
ハワイを発つ日、お母さんとジョイが見送りに来ました。カーネーションのレイをもらって「必ず又会おうね」と抱き合いながら約束しました。
今回の「少年の翼」で得たことは、自分の英語力を高めたい気持ちと、ハワイに優しい第二の家族ができたことです。

ドリーン先生と再会
知念高3年  嶺井智恵
私は、さしき・ハワイ少年の翼の団員としてハワイに行きましたが、見るもの全てがとても新鮮に見えました。高層ビル群、大規模なショッピングセンター、食事のボリューム、人々の朗らかさ等、やっぱりアメリカ(ハワイ)だなあと思いました。
ハワイに行って、とてもうれしかったことは第二の家族ができたことです。日本では「長女で弟が2人いる嶺井智恵です」と自己紹介するのですが、ハワイでは「末っ子で兄が二人いるTomoe Gusikenです。」とやったのです。ホストファミリーとの日々がとても楽しかった分だけ別れがとても辛くて涙が止まりませんでしたが、また会えると信じています。
また、再会を約束していたドリーン先生とも会えたのでうれしかったです。ドリーン先生のおかげで私は英語に興味を持ちました。そして「いつか会おうね」と約束していたので、こんなに早く約束を果たすことができてとてもうれしく思います。このハワイでの2週間での、色々な人達との出会い、再会、別れがありました。また、色々なことを知り、経験しました。初めは、クラスメイトという感じです。短い期間でしたが、私にとっても他の団員にとっても、本当に充実した日々と思います。
最後に、私達を応援してくれた父母、兄弟、親せき、町の皆さん、そしてハワイの皆さん、本当にありがとうございました。そして、中・高校生の皆さん、このさしき・ハワイ少年の翼は、とても素晴しいものなので、ぜひチャレンジして下さい。
また、今後のさしき・ハワイ少年の翼が今回以上に成功することを期待しています。

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大分類 テキスト
資料コード 008445
内容コード G000000627-0022
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第184号(1992年11月)
ページ 8-9
年代区分 1990年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1992/11/10
公開日 2023/11/30