なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

第3回中学生の主張大会

最優秀賞
「交通事故」一年 屋比久一也
「ドカーンバキバキーン」と大きな音が、新開球場の駐車場の方で聞こえた。仲間が一斉にかけつける。
「事故だ」 野球部の一人が大声で叫び僕達も一緒にかけつけた。行ってみると2人の高校生の男性が倒れていた。その隣りには大きなバイクが倒れていた。とても強くぶつかったらしく、電しん柱についているものがすり切れ、木の支え棒も転がっていた。 仲間の人が消防署に電話をかける。高校生の一人は、たくさんではないが血が出ている。もう一人は、大部重傷らしく、首の方は青くなっていて意識がないらしくなぜかぴくぴくと間をおいて動いていた。
数分後、救急車が来た。救急隊員も気付いたらしくすぐぴくぴく動いている高校生を乗せて行った。車の中にはその人のお母さんらしき人が一緒に乗って、「どうしよう、どうしたの」などと、わめくようにして、悲しんでいました。僕はそんな姿を見て、一瞬もし事故にあっているのが自分で、隣りにいる女の人が僕のお母さんだったら一体どうなっただろうか。そんな事が僕の頭の中に浮かんできました。
もう一人は、意識があるようだ。何分かたち、救急車が来てその人も病院に運ばれました。後に残ったのは、バイクとぶつかった木の支え棒、地面には生生しい血の跡でした。
数分後、警察官が来て何やら調べていた。おそらく、どうしてこのような乗り方をするのか、何故とめなかったのかというような話だろう。以前にもこのような事故で何人もの人が亡くなっています。今回は死人が出なければ良いがと皆の思いが心に伝わってきた。仲伊保の大通りではスピードの出しすぎでハンドルをきり損い、ヤシの木にぶつかり死亡した人がいます。今回は木よりも固いコンクリートの電柱なので心配です。どうしてこのような乗り方をするのか、僕も2人乗りで前輪を上げて運転している人を見かけました。
バイクはこの世で1番死亡率の高い乗り物です。なのに何故正しい乗り方をしないのか。交通ルールを守り友達などに注意をする、といったことを必ず実行していきたいです。ですから皆さんももう一度交通事故のおそろしさを考え、私達の地域で危い乗り方をしている人がいたら、勇気をもって注意して下さい。もう交通事故による犠牲者はたくさんです。           (全文)

最優秀賞
「健康の大切さ」2年 森華子
健康、健康って一体何でしょうか。「体に悪いところがなく、元気で丈夫な事」辞典にはこう書かれてあります。
元気、私はいたって健康です。でも、私は生まれつき心臓に穴が開いています。生後1ヶ月の検査で分かったそうです。それから1年に1回は東京女子医大で検査を受けていました。でも、このことを特別だとは思いませんでした。皆も年に1回はここに来て検査を受けるものだと思っていました。私が他の人と違うということを知ったのは、東京から沖縄に来て1年が過ぎた頃でした。その時私は小学5年、ただ風邪をひいただけなのに、何日も熱が下がらず病院へ行き、血液検査をして点滴をうちました。そしてカルテを見ると、心臓に×印が付けられ、英語で何かぐちゃぐちゃと書かれてありました。その時、はっきりと分かりました。学校の身体検査の時、必ず心電図をとられた事も、納得できました。でもあまりショックはありませんでした。むしろ自分が今迄気付かなかった事をマヌケだなあなどと、のん気にかまえていました。しかし、私の熱はいっこうに下がらず、激しい腹痛で学校へ行く事もできない日々が続きました。病院へ通い点滴をうつ毎日です。流石の私もすっかりやる気をなくし、体力をなくし、天井をながめていました。結局、琉大へ行き入院して検査を受ける事になりました。右足のつけ根から細い管を入れ、超小型カメラで心臓を写すものです。検査が終わり、麻酔が解けると、気分が悪く身動きがとれない状態でした。しかしこれはこれで自分にとって、良い経験となりました。
「病人はつらい事をせずに済むから楽だ」こう思っている人が多いのではないでしょうか。けれどそれは間違いです。私は病人だ、という理由で少年の船の選考からもれました。自分のやりたい事さえも満足に出来ないこのつらさ、はがゆさが皆さんに分かるでしょうか。体力テストの千メートル走の時、私は2周半でダウンしてしまいました。食べ物をもどし、迷惑をかけてしまいました。そんな時、私はえもいわれぬ不安感と孤独感を覚えます。自分はまわりに迷惑ばかりかけてしまう、人並みの事さえも出来ないという劣等感、前までの私ならば、非行に走っていたかもしれません。
中一の美術で感想画を描くために、『鳥になって』という本を読みました。そして感動しました。私は本などで自分の考えが変わるわけはない。と思っていました。しかし、人間は本当に都合の良い生き物で、自分と同じような者には、簡単に感情移入してしまえるものなのですね。主人公の親川智子さんは、一人病気と戦っていたのに私は自分の不満だけをまわりにぶつけ、自分は不幸だと勝手に思いこんでいたかと思うととても恥ずかしくなりました。この頃から何となくですがうじうじしている自分が冷静に見えはじめていました。
先日、文通している先輩から手紙がきていました。そして、以前私が好きだった言葉を思い出させてくれたのです。「同じ時間を生きているのなら、怒っているよりも笑っていたほうがいい。何故そんな事で怒っているのか」誰が言った言葉かは知りません。怒っているわけではないにしろ、今の私にぴったりの言葉だと思いました。私には、現実を見極める事が心要だったのです。今何をすれば良いのか、どうすれば自分を捨てずにいられるか、はっきり確信できたわけではありませんが、とりあえず今は笑っていればいいのでしょう。手術やら、つらい事など今は忘れ、いえ、むしろそれさえも自分の力として吸収し、もっと強くなりたいです。そして、今を一生懸命に生きていきたいと思います。              
(全文)

「地球は今」1年 末吉春奈
ゴルフ場の朝は早い。朝もやの中で、ゴルフを楽しむ人々の群。ゴルフ場、それはいったい誰が何のためにつくったものだろうか。
ゴルフ場は人工的に芝生を植え殺虫剤や農薬をたくさんまく。それらは、土の中を流れ、畑や川、海に流れこむ。川や海にも生き物がたくさんいる。その生き物たちは、どうなってしまうのだろうか。
海のある所を埋め立てて、私達の住む所や楽しむ所、役に立つ所などををつくる、すばらしい住宅街ができる、埋め立てられた所にあった海水は、どこへ行くのだろう。このまま埋め立てばかりしていたら海や海水は、いったいどうなるのだろう。
今、この地球は、とても汚れていると言われている。世界規模で働きかけなければいけないというところまでせまっているのです。
私達がはき出す二酸化炭素を吸ってくれる木々。そして、私達人間に必要な空気をはき出してくれる木々。自分達の利益のために、その大切な木を切り倒している。木々が少なくなるとどうなるだろう。空気が少なくなって人は生きていけなくなる。それに、二酸化炭素を全て木々が吸えなくなり、行き場を失った二酸化炭素がオゾン層をこわしてしまう。今、この時も、二酸化炭素がオゾン層をこわしている。この状態がずっと続くと北極や南極の氷が溶け始め水面が上がり、沈む地域も出て私達の住む所がなくなってしまう。
文明の発展とともに、私達の暮らしは良くなった。でも文明の発展とともに、人間の手で解決しなければならない問題が増えつつあると思う。ゴミ等を処分する時に出る有毒ガス、これも解決しなければならない問題の一つだと思います。
自然をこわすのは人間だ。だが、地球を助けるのも人間だということを忘れてはいけないと思います。〔要約〕

「言葉の大切さ」2年 吉井健吾
「Spielst du mit?」 いきなり誰かが後ろから言ってきたので、びっくりして振り向くと、同級生の男女数人が手招きしているではありませんか。言葉の意味は理解できませんでしたが、おいで、おいでをしているので行ってみると身振り手振りで一生懸命なにか教えようとしています。よく見ると、じゃんけんをしているので、「OK.OK」と言って仲間に入りました。すぐにじゃんけんをしましたが、どうしたことか僕が負けた瞬間「ワーッ」と言いながら逃げていきます。人を呼んでおきながら逃げるなんて。と思っているとちょっと離れた所でまた手招きをしています。僕は、やっとおにごっこをやろうとしているのに気付き、いっしょに遊ぶことができました。この時僕は、小学校4年生。ドイツの学校に入学したその日の休み時間のことでした。父の仕事の関係で家族といっしょにドイツに行ったのですが、その頃の僕のドイツ語といったら自己紹介とちょっとした挨拶が出来るぐらいでした。それからは、僕は遊びを中心に一つ一つドイツ語を覚ぼえていきました。また、学校の友達が優しくしてくれたことも言葉を覚える上で、とても重要なことだったと思います。こうして2年後には大部話せるようになりましたが、それでも言いたいことをうまく伝えることが出来ず、悲しい思いをした事もずい分ありました。
 皆さんは言葉の大切さについて考えたことがありますか。僕は、ドイツに行って初めて言葉がどれだけ重要かわかったような気がします。言葉によって自分の意志を伝えたり、相手の気持ちを理解したりできるということは、僕達人間にとってとても大切なことではないでしょうか。
これからも僕は、言葉の大切さ、ありがたさを忘れずに心をこめた言葉を使うように心がけたいと思います。(要約)

「尊い命を大切に」3年 嶺井千夏
「命は大切なもの」と自分の心の中では思っていても、その言葉の本当の意味を考えたことはありますか。自ら死を選び自殺する人や、さまざまな殺人事件、暴走による交通死亡事故など、命がなくなっていくこのようなことが何故減らないのでしょうか。私がそう思ったのは、最近、身近に交通事故で高校生が亡くなったなどと死に関する言葉を聞くからです。亡くなった高校生は、オートバイで遊んでいて命を落としたのだそうです。まだ高校生で将来の希望などもあったのでしょうが、交通事故という形で命を落してしまったのです。
私の母は、よくテレビで自殺や不注意による交通死亡事故などのニュースを聞くと、私に「自分の命を粗末にするくらいなら、病気で苦しんでいる人や食べ物がなくて死んでいっている人達に譲ればいいのにね」と言います。けれどもそういうことは出来ないのです。死ぬということは絶対にしてはいけないことなのです。何故なら、自分にとって一番大事なものがなくなるということだからです。
3年生の国語の本で「鈴の鳴る道」という随筆を勉強しました。筆者が障害を負い、生きるという気持ちがなくなっていた時、ある人から鈴をもらい、その鈴がでこぼこ道を通り抜けようとした時に「チリン」と鳴ったそうです。その音は平らな道ではなく、でこぼこ道でしか鳴らないということから、人生でもこのような鈴があり、あらゆる苦難などにぶつかった時に鳴ると述べていました。この本で私の好きな言葉があります。
-私の行く先のある道のでこぼこを、なるべく迂回せず進もうと思う- この文章から、生きるということがどんなにすばらしいかを考えさせられます。私は、これからも生きるためになくてはならない命を大切にしていこうと思います。(要約)

「道」 3年 當間大和

「自己嫌悪」という言葉がある。簡単にいうと自分が自分を嫌になってしまうことだろう。僕はときどきそういう気持ちになってしまう。どうしてそうなってしまうのか理由は2,3あるがまずあげるとすればこの点だろうか。
実は、僕はまだ将来自分が何になりたいのかはっきりしていません。人は自分が何になりたいのか、将来どういう仕事につきたいのか、そういったことで進路を決めていくはずです。しかし、どういった仕事がしたいのか、どういう職につきたいのか、何を達成したいのかがはっきりしていなければ目標もなくただ毎日を漠然と過ごしている感じがしてたまらなくなってしまいます。
沖縄県は全国でも高校中退者が一番多い県だそうです。そのような人達の中退の理由に進路の変更というのがナンバーワンでした。この様な人達はただ「高校に行けばいい」という感じで入ったのではないか、そしてそこで自分のしている事が何のためにしているのか分からなくなり、そして悩みが生まれ、更にそれに伴って学業不振などになってしまい、その結果、進路変更という形で中退してしまうのではないだろうか。
つまり、目標をもたずに進学したところで、果たしてそれでいいのだろうかという不安が出てくる。このことからも目標というのがどんなに大切かがわかると思います。目標というのは、自分の進む道の扉を開いてくれるカギなのだと思います。そのカギがなくては、先に進むこともできずに同じ場所で途方に暮れてしまいます。そうならないためにも早く自分の目標をさだめておかなくてはいけないと思います。
心が風船のようにプカプカ浮かないためには、自分の目標をさだめ、それに向かって一生懸命がんばることだと思います。僕はそんな生き方のできる人になりたいです。       (要約)

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大分類 テキスト
資料コード 008445
内容コード G000000625-0018
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第182号(1992年9月)
ページ 8-10
年代区分 1990年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1992/09/10
公開日 2023/11/30