次に、琵琶湖浄化に長年取り組んできた滋賀県婦人団体の活動状況を報告の中からまとめてみました。
昭和40年代の日本は、高度経済成長の華やかな時代で、消費は美徳とされ、家庭用品も新製品が次々と出回わりました。洗濯用の合成洗剤も、野菜、食器洗いに至るまで、取扱いの簡便さと宣伝によって家庭に急速に普及しました。この頃、合成洗剤のリン酸ナトリウムや界面活性剤により、手荒れや赤ちゃんのおむつかぶれ等の皮膚障害が発表され、台所をあずかる婦人としてじっとしていられなくなり、自主的に動き出したのが合成洗剤追放運動であり、石けん使用運動だったといいます。
スタート時には婦人たちの必死の呼びかけにもかかわらず、何ごとにもマイペースでというタイプの人達も多く、また、業者とのトラブル等いろいろあって、足踏みする中、琵琶湖は汚染が進み「臭い水」が間題になっていきました。昭和52年に琵琶湖に初めて赤潮が発生するというショッキングな事態を迎え、昭和54年に県議会に「琵琶湖富栄養化防止条例」が上程され、昭和55年7月から施行されたということでした。
地道な草の根の運動が行政を動かし、いまでは行政とのタイアップによって全体的な取り組みとなり、滋賀、京都、大阪の水がめ琵琶湖は守られ、徐々に回復へ向かっているとの報告がなされていました。現在の取り組みとしては、調理くず、残飯処理、油の処理、さらに、流しにストッキングのような細目のトレーナーや水切袋などをつけて、細かいゴミまで流さないよう各家庭において工夫しているとのことでした。
人体を守るための合成洗剤追放運動は、「命の水」を守る運動へと大きく発展してきました。しかし、このような涙ぐましいまでの取り組みにもかかわらず、ホテル(京都)に入ってまっ先に目にとまったのが、「琵琶湖が汚染され、水に臭いがあります。飲み水は蒸留水をご使用ください」との注意書でした。
いろいろと課題を残した研修会でしたが、最後にいえることは、「事が起きてからでは遅い」ということではないでしょうか。このように書えてみると、地元のことが気になるものでず。沖縄の河川はどうなっているのでしょうか。
水源を持たない佐敷町は、日頃それほど気にもとめず、ただ供給を受けているだけだと思います。私達の生活排水は、河川を通って温へ、海へと流れているのです。流れ、流れて、海からまた私達の食卓へと戻ってきます。「きれいな川」「きれいな海」を守ることは、健康を守ることにつながります。
牛乳や油、味噌汁などが富栄養で川や温を汚染する率が高いといわれます。流しに直接流さないよう工夫し、洗剤なども説明書きにある分量を守って使うように心がけたいものです。
沖縄でも、いま、環境間題の一環として多くの婦人団体が、「ゴミの資源化」を図り、リサイクルを進めています。佐敷町婦人会でも、昨年7月よりリサイクルをスタートさせています。12月発行の婦人会報「はまじんちょう」によると、5ヵ月でなんと33、115キロもの「ゴミ」が資源化されたとのことです。
「分ければ資源、混ぜればゴミ」というように、私達のちょっとした気配りが資源を生み、ゴミの減量を図れるのです。すばらしい事業をスタートさせた町婦人会の役員の皆さんに、心から敬意を表したいと思います。どんなにすばらしいことでも役員だけに負担をかけては、長続きはしません。月一回の搬入日には、会員相互の協力のもとに、息の長い運動へと発展させたいものです。
私も微力ながら、搬入日には必ず出て手伝うことにしています。共に頑張りましょう。美しい環境を守るために。