こんにちは、お元気ですか―。2月18日午後、佐敷小学校の姉妹校である福岡県波多江小学校の校区から、同校へお客さんが訪れました。沖縄観光を兼ねて佐小を訪れたのは、三嶋丈夫前教育振興会々長夫妻。
ヒカンザクラをはじめ花いっぱいの同校を訪れたお二人は、津波松夫校長、職員の出迎えを受け、久しぶりの佐敷小学校を見て回っていました。
姉妹校となったきっかけ
福岡県糸島郡前原町立波多江小学校と佐敷小学校が姉妹校となったきっかけは、昭和
36年、前原町にある伊都工業株式会社三嶋丈夫杜長が製品(機械)販売に沖縄を訪れたことに始まります。当時、占領下の沖縄は、祖国と切り離されていました。
三嶋氏は、祖国復帰を願う沖縄の人々の切々たる心情に接し、驚き、感動し、戦争の悲劇、平和の尊さを知り、日本国民としての自覚を新たに帰郷されました。氏は帰郷後ただちに母校の波多江小学校に立ち寄られ、当時の段宗吾校長に会い、沖縄の現状を話されました。段校長は、波多江の子どもたちに沖縄の同胞を理解させ、沖縄の子どもたちに本土の様子を知ってもらうために、お互いに交歓をしたということになりました。
さっそく段校長は、三嶋氏の第2回の沖縄行きのとき、波多江小学校の児童の作品(絵と習字)を託したのです。三嶋氏は、その作品を沖縄在住の知人、三虎工具店の与那嶺蘇青氏に渡しました。与那嶺氏は、波多江校区と同じ純農村地にある佐敷小学校を選定し、作品を持って三嶋氏と共に同校を訪問しました。
当時の佐敷小学校渡名喜元尊校長と両氏はこれまでのいきさつを話し合い、両校の姉妹校としての橋渡しができたのです。
昭和36年、姉妹校となって以来、波多江、佐敷両校の子どもたちは、相互の親善を深めるために、交信活動を続けました。児童会活動の一環として、通信委員を特設し、全校あげて文通交換、作品交換を呼びかけ、数多くの手紙や作品が毎月発送され、さらに、児童会活動状況の交流も実現されました。
両校の子どもたちは、一人から二人、二人から三人と、友情の輪が広がり、親善の交流はますます深められていったのです。
【親善訪間の状況】
▽昭和38年3月末 佐敷小より波多江小へ(団長渡名喜元尊校長・嶺井信夫PTA
会長・外間清徳教諭・5、6年児童10人・児童は校区の有志の家に2人ずつ分宿)
▽39年波多江小より佐敷小へ(団長圧島正博校長・三苫恵一教諭・波多江友助区長会長・三嶋支夫氏・児童10人)
▽42年3月 佐敷小学校職員、波多江小へ(嶺井信夫PTA会長・教諭8人)
▽51年12月25日から12月28日まで、波多江小より佐敷小へ(団長進藤春之
校長・同夫人・大橋ツチエ教諭外1人・児童10人・児童は校区の有志の家に2人ずつ分宿)
▽52年8月18日から8月21日まで佐敷小より波多江小へ(団長宮城要三郎校長・
山城健青PTA会長・高良武治教諭・知念節子教諭・砂川桂子養護教諭・5、6年児童12人・児童は校区の有志の家に2人ずつ分宿)
▽52年10月10日 嘉数幸喜氏波多小へ(目分の子ども訪問答礼)
▽53年波多江小PTA役員が沖縄観光のついでに佐敷小訪問(PTA役員数名・その外PTAの交歓も数回の往き来があった)
▽57年8月 九P大会の折、波多江小より佐敷小へ(三嶋拓人PTA会長・浦伊三次
副会長・中原英機部長・三嶋良治部長・奈良崎ミチ子教頭)
▽59年3月25日より3月27日 波多江小より佐敷小へ(職員3人・父母3人・児童10人) 18日 佐敷小より波多江小へ(教師3人・父母1人・児童10人)
▽平成2年5月4日から5月7日波多江小百周年記念式典参加(津波松夫校長・屋比久孟義教育委員長代行・宮城富男PTA会長・佐敷小5年宮城響、金城真知子、6年宮城正人、吉田理恵・馬天小6年当山清英、仲村和果奈・記念木植樹、アコウ、ヒカンザクラ、イジュ各1本)
▽3年8月1日から8月3日 波多江小より佐敷小へ(白石丈治校長・秋吉厳百周年記念会副会長・波多江興夫区長会会長・浦伊三次教育振興会会長・竹村スエ子教育振興会副会長・太田省三教諭・松井美也子養護教諭・児童6年林隆三、竹村秀仁、宗雅文、波多江太郎、友野照美、山本泰世、窪悠希、小柳知美、上原明美、吉干春・全員有志の家庭へ分宿する)