最優秀賞作品
子育ての中で考える
冨祖崎婦人会 真栄城 恵子
私は佐敷に住んで10年近くになりますが、去年までは4人の子供の子育ての為とはいえ、家庭に閉じこもりがちな生活をしておりました。自分の班以外の方とは挨拶を交わす程度で、親しくお話をしたこともありません。でも、私はそれまでの生活に満足していましたし、専業主婦は誰にも拘束されることもなく、自由で気楽なもので、一生それで暮らせたら、強いて社会、周囲、隣り近所と接触する事もないのではないかと考えておりました。しかし、子供が成長するにつれそれではいけないと思うようになりました。
現在5年生になる長男が幼稚園の時、入園式の夜熱を出しました。でも、朝になるとケロッと直って元気に登園するのです。1年生になって新学期、一週間程毎朝食事を戻しながら登校しました。本人に「学校が嫌なの、心配なことでもあるの、それとも誰かいじめる人がいるの」と聞いても、「学校は好きだ。楽しい、行きたい」と答えます。新学期や行事のあるたびに熱を出したり、戻したりをくり返します。そういう状態でも元気はあるのです。嬉しい楽しい気持ちとは裏腹に身体は緊張しているのです。私は、どうしてこんなに神経質で気が弱いんだろう。こんな状態だと中学校のテストや高校入試があっても、体調を崩して受けられないんじゃないかと先々の事を考えて気が重くなってきました。「ほんとに性格は暗いし、気は弱いし、自分の思っている事もハキハキ言えない」。誰に似たんだろうと子供を叱りながら、私は思うようにならない子育てにイライラしたりしました。でも、よく考えてみますと私に似ているんです。私も小学校の頃はトゥルバヤーで目立たない子供でした。新しく仕事に就いた時の2週間程は、朝食を戻しながら通っていました。運動会とか学芸会とか行事の時は食事も喉を通りません。別に仕事が嫌だとか行事が嫌というわけではありません。でも、身体は新しい環境に拒否反応を示しているわけです。他人に話しても分かってもらえず、自分ではどうしようもないことでした。現在でもこの状態は続いています。自分自身をよく知っているつもりでいました。新しい刺激を受けなければ体調も崩れないし、楽である。だからなるべく平凡に、何事も無く、何事にも消極的な態度で専業主婦というぬるま湯の中で生活して来ました。私はこういう人間だから仕方がない。今の自分に満足しているのだからいいのではないかという考えがありました。
息子が私に似ている、その事に気づいたのは最近のことです。それまで昔のことはすっかり忘れてしまい、子供の欠点ばかりが目について、どうしてこんな子になったんだろう、自分の事は棚に上げて叱ってばかりいました。二人で頑張りましょう、ではなくて「頑張りなさい」という言葉で子供に責任を押し付けていたように思います。自分が悔やんだ事を考えれば思いやりの心で接してあげて母親としてもっと努力があったと反省させられました。
息子は3年生の頃から新しい環境や刺激にも体調を崩すことが少なくなり、今はとても元気です。これは、学校生活において毎年いろんな経験を積み重ね、それがよい刺激になったからではないでしょうか。自分では気づかないうちに少しずつ成長しているのですね。私も見習っていろんな訓練の場を自ら作って精神的に強くなりたい、変わりたいと思うようになりました。ある本に変われない人間、言い換えれば成長できない人間なんてこの世に存在しない。なぜ変わらなければならないのか。それは人間は成長しなければならないからである。成長しなければ人生のすべては向上していかない。「私はこういう人間である」と勝手に決めつけて自分に甘えてはいけない。とありました。なるほどその通りだと納得いたしました。子供とはおもしろいもので3歳の子は、私が掃除をすればモップを持ち出して掃除ごっこを始めます。本を読んだりテーブルに向かって書き物をすると「勉強、勉強」といって絵本を開いてひとり言を始めます。朝からごろごろ寝てばかりいると自分も横でまねをしています。遊びの中で親の良い面、悪い面、いろんなことをまねしながら吸収しているように思えます。だから、もしかしたら私が変われば子供も変わってくるのではないだろうかと考えるようになりました。子供に勉強しなさい、積極的になりなさい、ハキハキしなさいと何度言葉で言っても無駄なことではないでしょうか。自分は何もやらないのに子供が積極的で活躍することを望む、それは親のエゴであることに気がつきました。親が態度で示す、私が子供に望むことをまず自分から実行してみることです。
今年、婦人会の役員の話が回って来ました。下の子が3歳であり、主人は宿直があるので夜子供たちを面倒見る人がいない、など断る理由はありました。でも、自分自身を変えざるをえない状況にあると決意はいつしかしぼんでしまう。そこで役員を引き受けることにしました。役員になって町のリーダー研修にも参加しました。その時の講話の中から、何もしないでも、人生、同じ人生なら悔いの残らない人生を送ることが人間として幸せなことではないだろうか。また、いくつになっても生涯学習の大切さ、素晴らしさを教えていただきました。私がおぼろげながら考えていた事、これからの生き方を模索している時に非常に良い指針を与えてもらったことを感謝しています。
私は今、人に頼まれた事は断らない、「ハイやります」と答える努力をしています。人が出来る事を自分が出来ない事はないと考えるようにしています。相手は自分を信頼して言うのだから、それに応えるのは相手の為だけではない、自分の為にもなるのではないでしょうか。物事をできない、やらないと断っていたらその時は楽です。 でも、人間として成長するチャンスを自ら放棄する事は長い目で見て損な事ではないでしょうか。
子供が小さい時は親は偉大に見えます。親の言う事、する事は何でも正しいと思ったりもします。でも、物心がつく頃になるとほんとの親が見えます。悪い所も見えてきます。 ロでどんなに偉そうな事を言っても実際に行動、実践していなければ子供は親を偉いと思いませんし、尊敬もしないと思います。自分の悪い所を反省し改める事は大変難しい事です。頭では分かっていてもなかなかできません。でもこれは、人間が成長する上で必要な事であるし、やらなければならない事だと思います。子供も自分も可愛いと思うなら出来る事ではないでしょうか。親の背を見て子は育つと言います。親が何事にも逃げないでチャレンジ精神で頑張る事は、無言の教育になると思います。何事にもプラスの発想を大事にして、私は今までの弱い自分を変えたいと思います。子供も私の姿勢をいつかは分かってくれるのではないでしょうか。そのことを期待して今後も頑張りたいと思います。
(全文)
婦人会の一役員となって
津波古婦人会 安里 洋子
字の婦人会長として、また町婦人会の広報部長となって3カ月が過ぎました。ふり返って、私なりに反省と意見を述べたいと思います。
4月の下旬、町婦人会の評議員会で広報部の部長に選ばれました。これは困ったと思いましたが、やるしかないと決意しました。私は、責任ある仕事を頼まれた時は、いつもプラス思考で行こうと考えています。
4月から6月までの3カ月は、新年度のための各種の会合がありました。字では、婦人会の評議員会、役員会、美化コンクール推進委員会、ピクニック等、また、字の協力団体として評議員会、総会、豊年祭への協力等がありました。町婦人会では評議員会、リーダー研修会、広報部会、石けん作り等のほか、青少年指導者育成会、子ども会育成者研修会、買い物動向調査等々の協力事業。これらの会合がほとんど晩行なわれているのにびっくりしました。仕事を終えてきて急いで夕食を作り、参加するというのは大変な時もありました。「どうして役員を引き受けてしまったのか」と思ったりもしました。
昼間の活動といったら、土曜日の午後と日曜日しか設定できないという厳しい現状もあります。しかし、役員はじめ会員の皆さんの協力で活動はスムーズに展開しています。半強制的に与えられた役でしたが、良いチャンスを与えられたと、今では喜べるようになりました。
人間は環境によって作られるといいます。ゴミ問題、リサイクル、青少年問題、子ども会等々に関心を持つようになり、新聞に目を通し、切り抜きをするようになりました。婦人会も無関心の一つでしたが、こんなにすばらしい地域活動をしていることを知り、今まで無関心、無知であったことを後悔しています。役員を終えると婦人会とプッツリ縁が切れ、参加しなくなると聞いています。その方が、色々な方々に経験してもらって、理解してもらうにはいい方法だと聞きました。しかし、歴代の町の婦人会の正副会長はじめ、専門部、交母の会等には、元役員の方々がリーダーとして活躍しております。この方々を私は心から尊敬します。私も今年だけでなく、今後もできるだけ協力していきたい、参加していきたいと思うこの頃です。人生はよく花にたとえられます。30代、40代、50代は、花開く時です。会長はじめ役員を主軸に、会員の私たちはその枝、葉となって佐敷町の婦人会の花を立派に咲かせましょう。(要約)
環境問題とかかわって
新開婦人会 大城 悦子
私と環境問題とのかかわりは、去年の6月、沖縄県民生協に環境問題委員会が設置された時、その担当理事になった事に始まります。以来、「SOS新聞」の発行をはじめ様々な活動を行なってきました。
活動を通して環境問題への関心が高まり、猛烈に勉強しました。生協の会議や研修会にパネラーとして出たり、マスコミにも取り上げられたりしましたが、当時は、地球を守るために知り得た事を一人でも多くの人に伝えたいという一念でいっぱいでした。
ですから、地域の婦人会長に選出され、やむなく生協の理事をやめるはめになった時は、とてもつらい気持ちでした。私は当初婦人会活動に対してかなりふてくされていましたが、沖婦連の幹部研修会に参加した時、ごみ問題への関心の高さに目を見張りました。シンポジウムの中身も濃く、沖婦連では今にも何かできそうな気がしました。
ところが質疑だけで終わってしまって、会員からの問題提起や今後の活動への具体的な方向づけがなくて惜しい気がしました。そこで今日は、熱い思いを込めて三つの事を提案したいと思います。
一つ目に、運動は一部の人のみに負担をかけず、かつ効果的であるべきです。例えば、婦人会の古紙回収も一部の役員の負担でなされており、労力の割に非常に利益が少ないのです。埼玉県川口市のように、やれば報われるリサイクルシステムを、行政は、婦人会、生協、老人会と一体となってつくるべきです。
二つ目に、商品を買う時は、できるだけごみにならない環境にやさしい商品を選んでいこうではありませんか。過剰包装、ペットボトルなどはごみを増やすだけでなく、廃棄処分にも莫大な税金をムダ使いします。少々不便でもびんに切り替えていくとか、そういう事をやっていこうではありませんか。
三つ目に、末来を担う子供たちにもっとゴミ問題の深刻さを教えるべきです。ドイツでは授業の中でもしっかり教えているそうです。日本では小学校4年の時にたった1回だけなのです。ゴミ間題は親が教えるのも当然ですが、学校の授業でも位置づけて欲しいのです。
"地球は子供たちからの借り物"という言葉があります。みんなの努力でごみ問題にストッブをかけ、この美しい地球をきれいなままで子供たちに引き渡していこうではありませんか。(要約)