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第3回佐敷町少年の主張大会

作品集
青少年育成町民会議と町教委主催の第3回少年の主張大会が7月20日、町老人福祉センターで行なわれました。8人の佐中生が命の尊さや中学生活の大切さ等を熱っぽく語り、聴衆の盛大な拍手を受けていました。発表はいずれも甲乙つけがたいものでしたが、厳正な審査の結果、最優秀賞には、平田剛君と外間亮子さんが選ばれていました(以下は作品集です)。


第3回佐敷町少年の主張大会最優秀賞
命の尊さについて  
佐敷中学校3年 平田剛
人間の命は、神より授けられたものである。その命をむやみになくすなんてどういうことだろう。死んでしまうなんてどういうことだろう。みんなでそのことについて考えてみてはどうだろうか。
交通事故による犠牲者の数が年々大幅に増えてきていることは、だれでも分かることだろう。なぜ犠牲者が増えていくのか。又、なぜ若者達はそんなに命を落としたいのか、知りたいものである。簡単な交通ルールをあげてみれば、赤信号では車やドライバーは停止、黄色では気を付けて進行せよ、青では進めなどである。そういう基本的なルールさえも守れない若者たちは、死にたくないと思っているようだが、実際には、「死に近づいていく」という行動を自分自身で行なっているのだ。例えば、中学校から高校へ進学したと同時に、バイクの免許を取る若者が増えてきた。バイクに乗ることは決してダメといっているのではなく、バイクに乗る時はしっかりヘルメットをかぶり、交通ルールをしっかり守り、安全運転を心がけてほしいといっているのだ。そんな基本的なルールさえも守れないようだったら、今すぐバイクに乗るのはやめてほしい。分かるまで乗らないでもらいたい。そういう意見や考え方は僕だけでなく、大勢の人々が思っているにちがいないと思うのだ。家族、兄弟、姉、妹、いとこ、皆そう思っているのだ。もし、交通事故で両足を失なってみてはどうだろうか。悲しむのは自分だけでな<、それを知った人たちがみんな悲しむのだ。「そういうことになる前に考えてほしい」と思う。高校、バイト、帰宅、たしかにバイクは乗りやすそうだし、とても便利だ。けれども、一歩まちがえれば大変なことになる。一歩まちがってからでは遅いのだ。それがバイクなのだ。バイクだけではない。車もその一つなのだ。どちらも責任が問われる。
昨年、与那原中学校の男生徒が、4、5人で車を盗み、競走をし、事故を起こし、ついには死亡者が出るという大変なことが起こったのだ。とうとう死亡者が出て、テレビでも放送し、新聞にも大きく取り上げられ、沖縄県全体の問題になってしまった。今でも頭に焼きついて残っている。みんなもそうであろう。死んでいった人達は親の気持ちも知らないで、残された人の気持ちも知らないで、どういう気持ちで死んでいったのか、最後にどういう言葉を残して死んでいったか不思議である。
又、その事故の1週間かそこらで、今度は東風平中学校の生徒が、バイク事故で命をなくしてしまった。現実にそういう事故はいくらでもあるのだ。「交通ルールを守れない」という時代になってしまったのだ。
「一度死んだ人は、二度と生き返ることができない」。そのことをみんな忘れているのではないだろうか。1人ひとりが尊い、一度しか与えられない命を大切にし、今の時代を生きるために、一人ひとりの個性を、又、考え方をよりいい方向に向けてもっともっとすばらしい時代にしなければならない。それが、われわれ若者の義務であり、責任なのだ。大人も子供も、今一度、身近な交通ルールについて考え直してみてはどうだろうか。(全文)


第3回佐敷町少年の主張大会最優秀賞
団結するには  
佐敷中学校3年 外間亮子
クラスのみんなが団結するにはどうしたらいいんだろう。
私がこんな疑問を持ち始めたのは中学校に入ってからで、何か行事がある度にそう思っていました。そして、3年生になった今、クラスの団結について考えるべきだと強く思わせることがありました。
6月になって、中学校では最後の校内陸上が近づいてきました。なんとかこの校内陸上を盛り上げようとクラスの一部の人が一生懸命取り組んでいるようでした。その時私は、まだこの一部の人の中には入っていませんでした。学級旗作りやハチマキ作りなどの計画を立てたり、準備をしたり、少数の人数であたふたしながら一生懸命がんばっている姿を見ていた私は、ただ「みんなよくがんばっているなあ」と思っているだけでした。
そんな一生懸命にがんばっている人達が立てた計画に反対する人や文句をぶつぶつ言う人が出てきました。それを見て、私が1、2年の級長だった頃を思い出しました。何か行事やクラスの仕事などあるとなんでも級長が中心となります。みんなの協力をとても必要とします。しかし、みんながみんな協力してくれることはあまりなく、少数の人であたふたしてとても大変でした。この頃は私はよく「どうしたらみんなが団結してくれるだろう」と思っていました。
それから、級長になるとみんなをまとめるために先頭に立たなければなりません。そうなると、みんなからの反感を買ったりすることもあります。それがいやで、私は級長とか先頭に立ってやることを避けるようになりました。
3年生になっても、目立つようなことをなるべく避けよう避けようとしていた私ですが、あんなことがあってから、「私は逃げていたんだな。困難なことから逃げていたんだな」と自分の都合の良さを深く反省し、いつでも相手の気持ちになって考え、そして自分も積極的に参加することがどんなに大切かに気づき、次の日からは、私も積極的にハチマキ作りやくつひもの買い出しなどに参加しました。
そのほかに、部活動などでも、なかなか部員全員が集まらず、最悪な状態が続くということがありました。その時私も、一度はみんなにどなりちらしたことがありますが、効果はなく、かえってみんなの反感を買ってしまいました。それからは、私はただ「どうしたらいいんだろう」と悩むばかりで、みんなになんだかんだと言えなくなりました。一人ひとりがチームワークというものをよく考えて、勝つためにはどうしたらよいかを考えなければならないはずです。私も、もっとみんなを説得すべき立場だったなあと思います。仲間とのいざこざを恐れて逃げてしまった自分の弱さに気がつきました。
クラス全員が団結して何かをやりとげた喜び、チームが団結し一生懸命練習して勝った時のうれしさはなんともいえないと思うし、負けても失敗しても、みんなで一生懸命やったのだから悔いはないと思います。みんながみんな同意見を出し合うことは大変困難で、反対者も出ますが、反対者もただ反対するだけでなく自分はどうやりたいのかをはっきり述べ、みんなで話し合いよい結果を出し、その結果が自分の意見と異なっても、みんなで決めたことだから、協力することが大切です。私も先頭に立つことを恐れずに積極的に何事もやっていきたいと思います。
めんどうくさいとか自分の意見と違うから協力しないというのは自分勝手ではないでしょうか。もっと中心となっている人の気持ちを考えて、まずは参加し協力してみてはどうですか。一人ひとりの心がけでクラスや部のチームワークがよくなり、そして学校の向上へとつながっていくのではないかと思います。(全文)


我慢する心  
佐敷中2年 當間大和
中学生ぐらいになると、みんな意味もなく先生や親などに反抗したり、反発したりすることがあります。
授業のとき「次の時間はビデオを見せようね」と約束した先生がいました。でも、視聴覚室がふさがっていたためビデオを見ることはできませんでした。期待を裏切られたみんなは先生に大反発し、文句や罵声を浴びせました。授業を再開しても、まだ文句を言う人がいました。僕は最初は先生に対して立句を言いたい気分だったけど、今度はその人に対して「それぐらい中学生だったら我慢できるだろう」と言ってやりたくなりました。
僕はその言葉は心の中にしまっておきましたが、このようにすぐ反発してしまうできごとは、授業以外でも日常茶飯事になってしまっているような気がします。
僕は反発することに対して全てを批判はしません。ただもう中学生なのだから、何も考えずに突発的に反発するのではなく、先生の言い分も聞きある程度自分の中で判断してから反発する、あるいは、自分の気持ちを少し抑えて、先生の言い分を聞いて理解するぐらいの気持ちを持てるように少しずつ努力してほしいのです。
この考え方は、今日言われたから明日から実行できるか、といったらむずかしいと思います。でも毎日、少しずつ自分を見直して改善していくことによって人間関係もよくなり、不快感のない楽しい中学校生活が送れるのだと僕は思います。(要約)


水資源  
佐敷中3年 當間錦也
沖縄は今、深刻な水事情です。今年は例年に比べ特にひどくなっています。
深刻な水事情は農家だけではなく、家庭生活にも大きな影響を及ぼしています。学校のプールも使用禁止になり、学校給食にも影響が出ています。
これらの問題は、必ずしも空梅雨のせいだとは言い切れません。日頃、私達は水は無限のものだと思いこみ、使いたいほうだい使っていないでしようか。水のむだ使いが続けば、近い将来日本は水を買う国になってしまうかもしれません。これはとても大きな問題です。
水問題の解決手段として海水の真水への変換、廃水の再利用が考えられますが、実現には莫大な費用と年月がかかります。そうなってくるとやはり、日頃から私達一人ひとりが節水を心がけなければいけないと思います。ハミガキなどはコップを使い、洗車はバケツに水をため、残った水は花園などに散水します。トイレも、タンクの中へ別の水入り容器を入れておけば水は半分ぐらいですむでしょうし、また、お風呂の水も残ったものは洗たくする時に使えばいいのです。
そういったことは、日頃から私達一人ひとりが、節水に対して自覚していかなければ実行するのは難しいと思います。しかし、強い意志と努力をもってすれば、必ずこの水不足を乗り越えていくことができると思います。毎日の生活の中で一人ひとりが水資源を大切にし、有効に使うことを心がけるようにしたいものです。(要約)


きれいな町とは  
佐敷中3年 嶺井吟子
「あなたの町はきれいですか」と聞かれたら、すぐに「はい」と答えられますか。私は少し返事に困ってしまいます。
毎日私が通っているヤシの並木道は、観光ロードでもあり美しい光景ですが、並木の周りには空き缶や空きビン、お菓子の袋のチリなどがたくさん捨てられています。その原因は、私たちの帰宅途中の買い食いの投げ捨てにあります。
ポイ捨てを防ぎ、気持ちよい道にするためには、部活帰りに店に入らないことを実行できればいいなと思います。
部員の身になってみれば少しはつらいと思います。でもよく考えてみれば自分自身のためでもあります。我慢をして家に帰ることは、忍耐力を養い、家に早く着くことにもつながります。
チリのポイ捨ては学校帰りだけでなく、あらゆる所で見受けられます。公園もその一つです。私はA公園は好きですが、B公園はきらいです。B公園はあちこちチリだらけで公園という感じがしないからです。できた当初はきれいで、たくさんの笑い声でいっぱいだったB公園。チリだらけの公園にしてしまったのは、チリを置き去りにしていった、私達自身なのです。
A公園はいつ見てもきれいで、今家族づれでいっぱいです。でもこの公園は、何年後かにはだれも来ない公園になってしまうかもしれません。「来た時よりも美しく」「次来る人のために気持ちよりプレゼント」を合言葉に、一人ひとりが心くばり、気くばりをして美しい町にしたいものです。(要約)


命の大切さ  
佐敷中3年 仲村レイナ
最近、若い人たちの死が目立つようになってきました。その原因の一つは交通事故です。
若い人たちはオートバイ、車などを無茶なスピードで乗り回し、衝突というふうにつながります。そして何の罪もない人々も巻き込み、ひどい話となります。どんな対策をとったにしても、結局一人ひとりの心がけがなければ交通事故は防げないと思います。
ほかに、学生の自殺、幼児の無残な死があります。どれもあってはいけないことばかりですね。自殺は自らの命を絶って苦しみから逃がれようとする、簡単な逃げ道です。私はたとえどんなつらい事があっても、よく考えれば道は開けて新しく人生の歩み直しができるのではないかと思います。
命というのは本当に大切なものです。だから、この世に生存している全ての人の命が個人で大切に守られよりよい人生を送ることができるといいなと私は思います。今、平穏に生活している人や苦しみ悩んでいる人達も、みんなで自分の命の大切さを見つめ直していくべきではないでしょうか。
そのためには、現在起きている多くの事故、問題についてもっと関心を持ちましょう。事故はいつ起きるかわかりませんから、常に気をつけて、よく考えて行動するべきです。自殺についても、深く考え、良い方向に持っていき、みんな自信をもって生きてほしいです。
そして、もっともっと命の大切さを知り、守っていくように心がけましょう。(要約)


思いやりの心を大切に  
佐敷中3年 玉城綾乃
もし、突然目が見えなくなったり、言葉がしゃべれなくなったりしたらあなたはどうしますか。本当に突然体のどこかが不自由になってしまったら、とても困ってしまうでしょう。
そんな体の不自由な人が困っている場面を見かけたらどうしますか。
私はバスに乗っている時、重い荷物を持っているおばあさんを見かけました。私は席をゆずってあげようかなと心の中で思いましたが、声をかけることができませんでした。私は情けない思いではずかしくなり、今度からは気をつけようと思いました。
ある商店街で目の不自由な人の前を若者グループが横に並んで歩いていました。追い越すことができず困っているのに、若者たちは“私達には関係ない”みたいに思っているのでしょうか。
学校でも道でも、食べ物のチリを捨てる人がいます。チリを捨てるのならきちんとゴミ箱に入れるように気をつければ、学校の廊下や道路に落ちているチリは前よりも少なくなります
でも、落ちているチリを拾うことができる思いやりのある人が増えてくれば、学校も町もきれいになるはずです。
体の不自由な人や友達でも、先生方でも、困っていたらできるだけ協力してあげる思いやり。チリをチリ箱へ捨てる、チリを拾う思いやり。そんな思いやりのある人達が佐敷中学校に増えてくれればうれしいでず私も、そんな思いやりができる人になりたいです。(要約)

チャレンジするということ  
佐敷中3年 小波津千賀
「チャレンジする」ということは、自分自身の力を知ることだと知っていましたか。私も含めて多くの人がせっかくめぐってきたチャンスを逃がしていると思います。
私は小学校の頃、いろいろあったチャンスに対して、「自信がない」 「失敗したら」などの理由で避けてきたように思います。しかし、中学生になって自分から進んでテニス部に入り、部長の大役をまかされました。
私は不安でいっぱいでしたが、私なりにできるだけ悔いのないように一生懸命頑張ってみようと、今までやってきたのです。人前でも堂々と話せるようになってきました。遊び心を抑えて練習にはげんだおかげで選手にも選ばれるようになりました。
皆の助けを借りながらチャレンジしてきた部長という仕事によって、責任感も少しずつ出てきました。
このことは、自分自身を高め成長させてくれた良いチャンスだったと思います。
しかし、悔いの残ることもしばしばありました。勝てるはずの試合でボロ負けしてしまったのです。もてる力を最大限に発揮することの大切さをその時から考えるようになりました。失敗をおそれず、どんどんチャレンジしていこうと心に決めました。
私は、テニスを通してチャレンジスピリツトということを知りました。そしてこれから先、いろいろな事にチャレンジしていくでしょう。その時ベストを尽くせば、きっと何か自分にとってプラスになるものがあると信じています。(要約)

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大分類 テキスト
資料コード 008444
内容コード G000000612-0009
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第169号(1991年8月)
ページ 6-8
年代区分 1990年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1991/08/10
公開日 2023/11/28