平田大比屋は苗代大比屋(後の尚思紹王)の次男(三男の説もある)で、南山攻略の時に戦死したといわれています。手登根背後の丘陵台上にあるフナクブ(赤地原)にある立派なお墓です。
手登根大比屋の墓から約500メートルほど離れた所にあり、規模、構造、形式とも王族の墓にふさわしく整っています。鍾乳洞を利用した墓で、正面は野づら積みの石垣でおおわれています。墓は、正面が12メートルほどあり、かたわらには平田大比屋の碑文が刻まれた碑があります。
付近には、やはり鍾乳洞を利用した古い墓がいくつもあり、荘厳な雰囲気をかもし出しています。大きな岩かげに墓が構築されていることは、第一尚氏系という身分の関係か、もしくは王族にふさわしい身分の証しともいわれています。毎年、清明祭の季節になると沖縄各地からその子孫が集い、供養をしています。