私とボランティア活動
町婦人連合会小谷支部 城間裕子
現代の家族構成は正に核家族化し、私が住む小谷という地域もそれにもれず、老人部落と言われるほど子供のいる世帯が少ない所です。
主人が長男ということで、私は、4世代同居という大家族の中で暮らしております。親子3人だけの核家族から、祖父母夫婦、舅姑夫婦、そしておば、それに私たち夫婦と、大人7人の中に子供が1人という家族構成です。
大人の中の1人息子とのふれあいをみて、私は、息子がボーイスカウト活動のできる年齢になった時、ある団体へいっしょに入隊致しました。
入隊したというと聞こえはいいのですが、実は、送り迎えをする時間内を、「いっしょに活動してみませんか?」のお声で参加することになりました。
週1回、2時間の活動の中で、子供たちと大きな声で歌を歌ったり、キャンプ、またウォークラリー等、年間のプログラムを息子といっしょに行動し、楽しんでいました。しかし、小学2年生から5年生までの元気いっぱいの男の子と接していくためには、勉強会等へ参加し、情報を得なければなりません。その情報を得るため、私は必死になりました。
母親として、妻として、嫁また孫嫁として時間を有効に使うことを常に考え、月1回の研究会、週1回のリーダーだけのミーティング、そして、本屋さんですごす時間が長くなりました。今まで週刊誌ぐらいしか目を通さなかった私は、大変身です。
こづかいは、ほとんど本代へと飛んでいきました。
毎日が楽しく、充実しておりました。そんな私に、ある日突然、両側顔面神経マヒという病いの診断が下されました。1000人に1人の割で発病する奇病だと医者から知らされた時には、目の前が真暗になりました。
自分では軽いカゼと思いつつ病院へ行ったのが、その日からすぐ入院となり、42日間の入院生活となりました。退院の時、医者は、「日常生活をスムーズに行うまでに1年半、完治するのに2年ほどの期間を要する」といわれました。それでも私は、退院のその日がボーイスカウトの活動日になっていたので、それに参加し、子供たちの前に立っていました、 顔に表情がなく、言葉もうまく言えない状態の私を、温かくむかえてくれました。しかし、それからが私と病気との本当の意味のたたかいが始まりました。
長くて2時間ほどしか起きていられない私は、その2時間に焦点を合わせて行動しました。受身のリハビリだけでは病気に勝つことができないと、日ごろ主治医から言われておりましたので、積極的に外へ出て、人と話し、接する時間を持つことに努めようと、いろいろなボランティア活動にも参加しました。
そんな私をみて、回りの人たちは完治したと思っていたようです。昼間、誰もいない1人だけの時間になると、鏡に向かっては何度も何度も涙を流していました。
そんな時期にボーイスカウトから、形ばかりのリーダーである私に、3泊4日のキャンプ研修の話が入りました。主人は、やさしい目でオーケイのサインを出してくれました。
予想したとおり、山の奥での研修は、かなりハードです。研修の最初の日から10度以下に気温が下がり、どしゃぶりの雨が降っていました。
寒さと、心細い思いと、ブヨとの戦いの中で、起床4時、早朝7時からの野外での講義、夜のミーティングで、1日の研修が終わる夜中の2時という時間は、大変こたえました。
しかし、この研修会を開催するため、20数名のスタッフが1年間も計画を練り、何度となく現地へ足を運び、実態調査をし、プログラムを組んで、私たち研修生に不自由なく感激と感動の連続の研修をさせてくれました。
研修の最終日は、お互いに抱きあい、誰とはなく肩をふるわせて泣いていました。私たちがすごしたこの場所へ、自然に頭が下がっていました。私は、この研修の期間中、真心のこもったボランティア精神にふれることができたことに感謝致します。
さて、研修から帰った私はというと、無事仲間と3泊4日をすごし通すことができたという思いと、病気に負けなかったとの思いで、前より一層、行動の枠が広がっていきました。 1日3回の薬を飲むことも、また、月1回の検診の約束も忘れるほどになっていました。
あれほど検診の毎に、「先生、こうなんですよ、ああなんですよ。」と1つ1つの症状をこと細かく訴え、どちらかというと薬に頼っていた私が、パッタリと、2カ月も3力月も病院へ行かなくなりました。
3月のある日、看護婦さんからのお叱りの電話で検診へ出かけたところ、主治医の先生は目を大きく見開いて、ニコニコの笑顔で、「ああ、もう大丈夫だな。」と言われ、「来なくてもいいよ。検診に来るとすれば6カ月後でいいかな。」のお言葉をおっしゃいました。
その言葉を聞いた時、私は、無理を押して参加したボーイスカウトの研修の意義が、“見えた”という気がいたしました。
人は、他人との関わりの中で自分を発見し、自分の気づかないところで成長していくと言われております。
多くのすばらしい人とめぐり会えたことや、また、自分が救われたと思ったその時の喜びを、婦人会の皆様とわかち合うことができたらと思っております。
現在、私がいろいろな活動をさせていただけるのも、主人をはじめ子供、ましては、主人の両親の理解があったからと、心から感謝をしています。
今後も、ボランティア活動の中で学んだ事を、人と人とのふれあいを大切にし、地域への奉仕へと、精いっぱいがんばってまいります。(全文)