終戦直後配給になった5坪の規格住宅の老朽化がひどく、昭和26年、住宅を新築することにした。台風と白蟻の被害にほとほと手を焼いていたので、ブロック建てがよかろうという事になった。
資金はないので琉球鍛行で復金(現在の開金)10万円(B円)の借用手続きをして準備を進めていた。月給が2600円だったので10万円は大金である。そんなある日の事、親戚のS翁が訪ねて来た。
「君は銀行から金を借りるそうだが、その程度の月給で銀行から10万円も金を借りたら大へんだ。
僕が3万円位貸すからブロック建てはやめて、当分は木造カヤ葺かトタン葺で辛抱しなさい」という。
「毎年、台風被害が大きい沖蝿では今後ブロック住宅が最適である。特に私の屋敷は白蟻が多く木造では数年しかもたない」等々いくら説明しても納得しない。
カンカンガクガク2時間以上も経ったであろうか、遂にS翁の本音が出たのである。反対の理由は2つあった。
「イシヤー ヤ グソーヌ ムンドゥヤル イャーヤ イチチョーイニ イシヤー シカイ イーンナー」といわれた。
「生身は木屋、後生は石屋(生きている間は木造の家に入り、死んだら石造の家、つまり墓に入るもの)」S翁は生きている人間が石屋に入るのは縁起が悪いという。
もう1つは、戦前田舎では銀行から金を借りるとその話が周囲に拡がり「○○家は没落の恐れがある」と警戒されたそうである。つまり、S翁は私の事を心配して忠告されたのである。なお、94歳のS翁は、今も木造瓦葺の住宅で元気に暮らしておられる(真栄城)