なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

県老人の主張大会最優秀賞受賞作品

熟年へのときめき(看護を通して)  
つきしろ老人クラブ 山田君子
看護という職業に生甲斐を求めて半世紀になろうとしている私ですが、健康の許す限り現職でありたいと顧っています。
今は、貧しさを知らない物資豊富な時代ですが、高齢化社会が急速なテンポで押し寄せ、新たな時代が始まろうとしています。文明社会といわれながらも、心の豊かさが求められている時でもあります。このような世相を裏付けるような事例を、看護を通して紹介いたします。
【例一】 見るからに元気のないおばあちゃんは、おじいちゃんに支えられるように通院して来ています。ストレスから来る胃潰瘍で、病気そのものは大したものではないのですが、食べられない、痛い、だるい、とか訴えます。そうしたおばあちゃんをおじいちゃんが懸命に世話をやいています。
老人が老人を看護し、地域でもひっそりと二人暮らしのようです。看護疲れも手伝っておじいちゃんも高血圧で倒れ、夫婦揃っての入院となりました。体が不自由になり、言葉も少なくなって、表情も乏しいベッド上の老夫婦からは、悲しみが痛いほど伝わって来ます。
別居中の子どもにやっと電話を入れて支援を求めましたが、返って来る言葉は「おばあちゃんは頭が古くて嫁いびりするし、おじいちゃんは頑固で、孫たちと真剣に喧曄するんです。それに、私たちは共働きですから面倒はみられません。そちらの方でよろしく」というそっけないものでした。なかば家族からも見放された感じを受けました。
【例二】 羽振りのいい銀行マンを停年退職後の老紳士が、自律神経失調症で通院しています。人生に対しての不安と、孤独からくる心の病です。眠れない、肩こり、フラフラするとの訴えも強く、年よりも老け、やせています。
話を伺うと、奥さんと昔からソリが合わず、店を持っていて一日中留守だとのこと。弁当が作られており自分は一日中テレビを見、余り外出もせず、朝夕の庭いじりが唯一の楽しみというのです。老人クラブは年寄りの行く所で、まだ早いしと無理解なことをいいながらも、ボソリと語る表情はやはり寂しそうです。
別居中の子供たちとは電話で話すのみで、余り訪れることはないとのことです。核家族のため親子の意志疎通のなさや、夫婦愛の希薄さから来る精神的孤立感から不安をつのらせ、病気まで引き起こしたものと思われます。
このほか、退院間近の老人を引きとろうとしない家族の多いこと、また、少しでも手がかかりそうだったら、老人病院か老人ホームヘと直結する考え方が根強く拡がっている事実など、みのがせない風潮です。
その老人ホームの職員からよく聞かれる言葉です。「入所後滅多に家族は面会に来ませんよ」と。これらの心の貧しさから来る事例をみて、なぜ家族は老人の寂しさが解らないのか、なぜ温かい手をさしのべられないのか、昔に較べて家族の扶養能力が低下しつつある風潮が広がるのはなぜなのだろうか、自問自答しながら、私なりに探りを入れました。

時代に流されることなく
戦後、急激なデモクラシーの思想に戸惑う私たちは、適応力や信念もないままに時代に流され、高度経済成長のみに眼を向けていたのではないでしょうか。確固たる親としての信念、特に人間愛のあり方、いたわりの心、慰め励ますことを子供たちに充分伝えて来ていなかったのではないかと思います。
また、核家族時代の到来が親子の断絶に拍車をかけ、相互理解の機会も少なくなりました。さらに、私たちも親として、時代に即した自己研讃は怠っていたのではないでしょうか。いろいろな要因が絡み合って、愛情の根源である親子の絆、夫婦の絆の希薄さが表面化したのではと思います。
それにしても、ギシギシした人間関係と不信感は異状です。老いて病を持つ親や夫、気の毒に思う人間としての感性はどこにいったのでしょうか。沖縄にあるあの「肝苦さ(チムグルサ)」という言葉、相手を思いやり、苦しみを分かち合う精神は消えつつあるのでしょうか。 「命(ヌチ)ど宝」の言葉は、戦争反対のことのみなのか、嘆かわしくなります。
子は親の姿を見て育ちます。この観点からは、私たちの責任も大いに問われるべきです。自責の念にもかられました。これから私がなすべきこと、役割は、と今度は自問してみました。

老後の人生設計を
女性の平均寿命83歳まであと20年。退職後の人生のステージでは、人間愛を地域に、家庭に、子供や孫たちにしっかりと語り続けたいと思います。また、老人特性の心理を説き、理解を求めていきたいとも思います。
今後の人生設計を暗中模索していた私は、この二つを誓いました。その時から私の心は、大きく大きくときめきました。ちょうど『精神機能に停年はない』という一冊の本に出会ったことも、私を力づけてくれました。人生の拡がりと、生甲斐の再燃を確認した私は、若返えった気分 に浸り、「老人よ、大志を抱け」と叫びたくなります。
表面に出てものをいえるのは、経験と年輪と貫禄のある老人の特権かもと自負し、夢と希望も大きいのですが、浅学の私には大へんな将来になりそうです。しかし、老後の安らかな世づくりのためにも挑戦し、頑張りたいと思います。
幸いにも、世の中は生涯教育の時代に入っています。退職後の私の研鑚の場として、公的社会教育、カルチャー教室、老人大学、ラジオ・テレビの教育番組、講演会、読書などがあります。これらを通じ、知識と技術をしっかり身につけ、また、老人クラブで人の輪と和をつくり、友人を多く持ち、聞き、語り、学ぶことができます。
「好ババア」になって、積極的に世話をやき、老人なりの処世術を学び合う機会をつくりたいと思います。
また、確固たる老人クラブの組織力を通じて、老人としての知恵、意見、アドバイスを情報紙を通じ伝えていくこと、老人クラブの中に電話相談や、悩み事などよろず相談を受けられるような体制づくりなどに、熟年パワーを発揮し、地域の人々との良い人間関係を育てていきたいとも考えています。
さらに、婦人会や青年会とも連携を持ち、心の交流を図って若い世代の思想信条や雰囲気を吸収していくことも必要です。そこでは、いにしえの良さ、古き老人の考えも確固たる信念で語り、この世に残していきたいと思います。
何もかもかなぐり捨てた身軽な老後の人生に、私は縦の勲章はいりません。横の勲章、即ち、人の輪と和で手をつなぎ、自己変革をなし遂げれば本望です。

輪に入り、和を生もう
私は老後に備えて燃えていますが、一人では思うように事は運びません。21世紀の四人に一人という高齢化社会の主役は誰でしょう。私たちなのですよ。私の心のときめきを理解し、共鳴して、一緒に燃えてください。老人の敵である「孤独」にならないでください。
輪と和創生の場でもある老人クラブを大切に育て、その土壌を肥やし、スクラムを組み、知恵を出し合いましょう。現代版「楢山節考」を防ぐためにも、財残さなくとも、この世の子孫に愛情と人情はたっぷりと残していきましよう。
人生の節目に、心のときめきと生甲斐をみつけた私は、幸せに思い、それを励みの糧としています。
人間は心の安定なくして、体の健康は望めません。老人になると、人情によって心の安定は倍加されます。心の安らぎが「命グスイ」です。老人クラブに入り、孤独をさけ、自分を磨き、お互いが成長し合わなければ、将来受けるであろう福祉行政、ボランティア・家族の恩恵もままならぬと思います。
大都市のような老人クラブがあってないような地域では、ボケ老人や自殺が増えているという情報に接するたび、わが町佐敷町老人クラブに帰属できた事を誇りに思っています。
五十、六十は鼻ったれ小憎、七十歳で実年実を結び、八十歳で熟年に入るといわれている昨今、自分をまだまだ磨かなければなりません。立派な老人になるためにも。
最後に「老人よ、大志を抱け」と皆さんに、心から強く、強く、訴えます。

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大分類 テキスト
資料コード 008441
内容コード G000000571-0014
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第139号(1989年2月)
ページ 6-7
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1989/02/10
公開日 2023/11/21