根本(ニー)は何処(マー)やが
またまた臭い話でご容赦願いたい。むかしのこと、のちに首里王府の高官まで務めあげた伊野波親方が(イノハウェーカタ)の幼少のみぎりの逸話。
伊野波親方の屋敷と隣り合わせの境界ぎわに植えられた隣家の密柑の木。ある時、その木の枝がモーイーの屋敷に越境した。秋の日差しを浴びて、黄金色の実が枝もたわわになり下がっている。
友達にも分けて与えるべく、着物の懐いっぱいにモーイーはもぎ取っていた。その現場を、隣家のタンメーに見つかり、他人様のものを、無断で取るものではない、とこっぴどく怒られ、論された。
タンメー曰く「この密柑の木の恨本は何処やが、私の屋敷内にある。 私の蜜柑だ。」 その日は、タンメーに謝っておさまったが、幼な心にもモーイーの腹の虫はおさまらない。翌日、どこから探して来たのか猫の死体、自分の屋敷から物干竿の先に臭いそれをくくりつけて、タンメーの家の一番座の軒先に吊り下げた。
タンメー、腐った死猫を片づけろとカンカンに怒った。モーイーは待ってましたとばかりに、昨日のタンメーの言葉「根本や何処やがサイ」とやり返した。タンメーは返す言葉がなく、昨日を詫び、謝った。
「栴檀(センダン)は双葉より芳し」、びゃくらんは芽生えたばかりの頃からすでに香気が高いように、後に大成する人物は子供の時から衆にすぐれた性質を表すの例え。
「良竹は生い出るより直なり」「鳳凰は卵の中にして超境の勢あり」- も同義語だと思う。モーイー親方の幼い時のエピソードである。(平良亀順)