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学童疎開地を訪問して 再会の感激と新たな思い出を胸に

手登根 津波松夫(南風原町立北丘小校長)

今次大戦中、学童疎開した私たち手登根出身者は、当時の引率教師である平田喜長氏夫妻と共に、四十二年ぶりにお礼のため疎開地(宮崎県西臼杵郡円之影町宮水小学校)を訪問した。
さる5月28日午後3時過ぎ日之影町に着いた私たちは、早速町役場を訪れ、疎開当時のお礼を申し上げた。役場で歓迎と労いのごあいさつやお土産を頂き、私たちの学んだ宮水小学校へ急いだ。
なつかしの校門には、当時の恩師をはじめ級友が大勢集まり、学校の児童、職員およびPTA開係者と共に出迎えてくれた。お互いに四十二年間も離れ、音信もなかった者が多く、顔も忘れるほどであったが、長い間温めてきた思い出をたどりながら感激の再会を果たすことができた。
感涙があふれ言葉にならないものの固く手を握り、互いの無事とここまでの成長を喜び合った。
その後、体育館において歓迎会が盛大に持たれたが、子どもたちは沖縄から先輩を迎えているということで一生懸命やってくれた。学校からは、貴重な来校記念の品も頂き感激も新たにした。
私たちは今回日之影町を訪問できなかった方々の協力も得て、疎開時のお礼を兼ね沖縄紹介のために、沖縄関係の図書や紅型、黒糖などを差し上げた。宮水小学校では“ふれ合いコーナー”を設け、沖縄についての勉強に役立てているとのことである。
長岡亀(ひさし)宮水小校長からは、「生きた教育をしてくださってありがとうございました。この思い出と感激を大事に平和の尊さを知らせ、今後の沖縄との交流や教育に役立てます」とのごあいさつをいただいた。
学校での歓迎会の後、隣接の町立福祉館で大勢の町民の皆さんによる大歓迎会が催された。恩師、級友、役場、学校関係者で会場は超満員、戦禍を逃がれ疎開した昭和19年にタイムスリップしての積もる話は尽きることがなかった。
その余韻は、疎開者宿泊先の高千穂まで多数移動しての二次交歓会となった。
翌29日は、マイクロバスが用意され、疎開当時、田畑の手伝いを行なった校区全域を巡回訪問したが、恩師、級友の車が連なるパレードとなっていた。行く先々では、家々や田畑からも手を振ってくれたり、道端にお茶菓子を持ち出しての接待があったりで感動の連続であった。
四十二年も経ってのお礼訪問であったが、恩師、級友の真心のお世話と、町、学校関係者のお心尽しで新たな感激と思い出をたくさんつくって帰ることができた。今回の訪問によって、四十二年間も学童疎開者のその後を気遣い、強い関心を持ち続けておられたことを肌で感ずることができ、改めて心から感謝しているきょうこのごろである。
訪問後は、それぞれに手紙、電話のやりとりで宮水との絆はいっそう強められ、疎開者間の連帯意識も高まっている。そして、機会ある毎に語り合い、「疎開者の会」づくりも進められ、これからが楽しみである。

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大分類 テキスト
資料コード 008441
内容コード G000000565-0009
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第133号(1988年8月)
ページ 4-5
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1988/08/10
公開日 2023/11/21