戦前の一家の主婦は家事、育児、農家の主婦ともなると畑仕事と、早朝から夜床に就くまで男以上の労働をしいられていた。
当時は五十音のサ行をもじってサ(裁縫)シ(子女の躾<しつけ>)ス(炊事)セ(洗濯)ソ(掃除)と、それこそコマ鼠のように立ち働いたものである。
現今は、以上の仕事も全部電化製品がしてくれるので便利な世の中になった。現在の主婦は、主人を勤めに送り出したあとは三食付き、テレビドラマを見て体を動かさないものだから、栄養過多で中年太りの小錦ママが多い。
バス停などで、スーパーや市場帰りの布袋腹(布袋腹)に、買物かごを抱いて大根足のアンヨを投げ出してベンチに座っている中年の小錦ママの図は、失礼ですが、どうもいただけません。
大根ママの足から話は戦前の沖縄での大根の話になった。戦前の大根の産地は津堅島、
中城村の和宇慶、小禄村の鏡地の三カ所の大根が有名だった。
話が津堅大根の話になった。津堅の大根は二十キロはザラにあった。否三十キロいや五十キロ以上のもあったと、話はエスカレートした。側から或るご仁が、ではその大根の葉はどれ位の大きさだったかネ、と半畳を入れたら、すかさず話(葉なし)にも葉があるかと、やり返したので一同大笑いになった。
つぎは体重の話になり、体重の標準は四十キロ級はまず「よろしい」、五十キロは「極上等」の体重、六十キロ以上になると「ドゥクダラドゥ」になるらしい。あなたヘルスメーターに乗ってみませんか。(平良亀順)