手登根 宮城栄子
ジョギングを始めて、約2年になります。そのきっかけは、持病の喘息(ぜんそく)を克服するためでした。22歳の時、風邪で休んでいた私は、突然のどをしめつけられるような呼吸困難を起こし、病院へかつぎ込まれました。医師から気管支喘息ですと診断された時は、やっかいな病気にかかってしまったと思いました。不治の病いだと聞いていたからです。
それ以来20年間、喘息に悩まされてきました。発作が起きればゼーゼーと息苦しく、話すこともできません。ひどくなれば動くことも食事をすることもできず、体重も一日に一キログラムずつ減り続けます。吸入をしたり、点滴をしながら、発作が治まるまで、苦しさと戦うのみでした。そんな時、暗くなりくじけそうになりましたが、「子供たちがもう少し成長するまでは」と、自分に言い聞かせてきました。
発作は、いつ何時起きるか分かりません。その度に主人が救急車がわりになってくれていました。私の場合は、3月から4月にかけてと、9月から10月にかけての季節の変わり目にひどい発作が起きました。その時期はちょうど子供たちの卒業式や入学式、運動会等と大事な行事を控えている時で、出席できない場合は心苦しく、すまない思いでいっぱいでした。
どうにかしてその状態から抜け出したい一心で、あの薬がいいと聞けば、すぐに買って飲んだり、健康食品や漢方薬、ウサギ、アヒル、スッポンと健康な人ではめったに口にしない食べ物や、針、お灸、拝み等へと随分お金も使いました。また、体質改善で治ると聞いて一日置き20本も注射を打ちましたが、結果的に私には、どれも効果は見られませんでした。それでも若いうちは、体力があったせいか静脈注射一本で発作は治まりました。
ところが59年、60年と2年間は特に悪化し、入退院の繰り返しでした。一家を預かる主婦が入院するのは、とてもつらいことでした。
年々体力は落ちていくし、先はまだ長いし、このまま不治の病いとして一生過ごすのだろうかと、気持ちも落ち込んでいきました。ちょうどその時、私の入院している病院では、喘息患者を対象にした教育入院があり、私もそれに参加し、学習する機会を得ました。そこで、薬についてのお話と喘息体操、たわしマッサージ、腹式呼吸等を教わりました。
退院する時に、先生に「喘息は薬では治りません。薬は一時の発作止めであり、発作に耐えられるように体を鍛えるしかありません」と言われました。
今までは薬に頼り切りで、少しでもハードに体を動かしたり、重い物を持つだけで、息苦しくなり、ゼーゼーと発作が始まっていました。自分の判断で、運動は駄目だとばかり考えていたのです。
先生は、「たわしマッサージと風呂上がりの冷水かぶり、腹式呼吸も毎日続けなさい。それと同時に、水泳や剣道、ジョギング等をやるように」とおっしゃいました。まず、私は手軽にできるジョギングをやってみることにしました。 「最初は15分程、走ってみなさい。きつかったら歩いたりして、呼吸を整えながらでいいから」という先生の指示どおりに走りました。
ポケットには救急用の吸入薬をしのばせ、家の近くを走りました。今までなまけていた体は、5分走るにもとてもきつく、フーフーハーハーと5分がとても長く感じました。走り終えて真赤な顔をし、ゼーゼーしている私を見て子供たちは「そんなに苦しんでまでやらないといけないの。やめたら」と言ってくれました、それでも、もう入院はごめんだと、決心し頑張りました。
15分走ったあとは頭痛がして、四、五日はお休みすることもありました。それでも先生は「1日に30分は走らないと効果は期待できない」とおっしゃいます。「15分でもきついのに、30分は無理です」と言った時も、「一度に30分できなければ、午前と午後に分けて走ってもいい」とおっしゃいます。
発作の苦しみ、家族や周囲への迷惑を思うと、弱気ではいられません。
雨の日や、調子の悪い日を除いては走り続けました。そのかいあって、ジョギングにも慣れ、たまには力試しにと遠出をし、一時間ちょっとの道のりも、走れるようになりました。
また、少々気分のすぐれない時でも走ったあとはさっぱりし、すがすがしい気分になるようになりました。
今では発作も遠のき、病院への回数も減りました。これまで家にこもりがちで、消極的な生活をしていましたが、今では何事にも積極的になり、幸せな毎日を過ごしています。
私にとってジョギングは、持病克服の手段でしたが、ほかの人たちもそれぞれの効果があるようです。例えば、今まで自律神経失調症で悩んでいた友人は、すっかり良くなり、また、血圧が高く悩んでいた友人は、薬がいらなくなったそうです。このようにジョギングは、人それぞれに何らかの効果が表われています。
「継続は力なり」健康は与えられるものでなく、作り出すものだと、今まさに実感しています。これからも、自分のため、家族のため走り続けてまいります。