去る大戦とともに、沖縄の古い慣習のひとつであったワラビナー(童名)が、すっかり影をひそめてしまった。
全て合理主義で割り切られる今日、名前が二つもあるということは、まぎらわしく無用の長物ということかもしれない。
今の人たちは、出生届の氏名で一生を通すのが普通だが、私たちの幼い頃は戸籍上の名前の他に非公式に沖縄独特のワラビナーがあった。おたがいにワラビナーで呼びあい、親愛の情を細やかにしたものだ。
戦前の役場は、村長、助役、収入役三役以下の吏員と県の農林、養蚕、畜産(駅医)の駐在技手を含めて十四、五人の和気あいあいとした小じんまりした職場であった。それだけに各自の生活も手にとるようにわかった。話題も豊富で、各自の童名などもけっこうな材料であった。
次は歴代村長の童名である(敬称略)
初代 津波 常助 カマー
2代 平良 亀助 力ミー
3代 山城 新吉 ナビー
4代 宮城 國吉 マチー
5代 宮城 松助 ウシー
6代 平良 弘 不 詳
7.8代 宮城 徳清 ジルー
9代 瀬底 正行 サンラー
10代 屋比久孟徳 ヌルー
11代 平良 亀造 カミー
12代 嶺井 稔 カミー
13代 渡名喜元秀 ジラー
14代 津波 元八 ナビー
15代 瀬底 正八 サンルー
16代 嘗真 嗣著 ヤマー
17代 外間 長賢 カミー
18代 渡名喜元専 マツー
現町長山城 時正 サンラー (平良亀順)