第42回国民体育大会「海邦国体」は、町民の皆さまのご支援とご協力により多大な成果を上げ成功裏に終了いたしました。
昭和53年、沖縄県における国民体育大会開催正式決定以来、各地、名所において関係者をはじめ、町民の皆さまの大会成功へ向けての準備、諸取組みが開始されました。
わが佐敷町におきましても、軟式野球競技会・少年男子の部が開かれることになり、先催県の視察研修など開催へ向けて本格的な取組みが始まりました。
競技会場となる町営新開球場の建設整備をはじめ、町民一体となった海邦国体への取組みを創出するための運動を創り出すための町民運動は、従来より本町において強力に展開され、推し進めてまいりました「クリーン・グリーン・グレイシャス運動」、さらに、各分野、各方面から進められてきました「まちづくり」の諸活動と連動し、目をみはる成果を
上げることができました。
町民運動の一大展開とともに、海邦国体成功へ向けての気運も日一日と盛り上がりをみせ、また、ふるさと意識の高揚にもつながってまいりました。「みんなの佐敷町」「みんなのふるさと」という心が一つひとつ集まり大きな輪となって、環境美化はもとより、緑の育成、花いっぱいの運動となっていきました。
町民の皆さんのそうした心と、町青年連合会、町婦人連合会、町老人クラブ連合会はじめ、町内各種団体の海邦国体成功へ向けての諸取組みに対する自主的かつ積極的な参加は、本町の国民体育大会開催成功の大きな原動力となりました。
大選手団を迎え入れる民泊受け入れ態勢づくりひとつを取りましても、このような町民の皆さまの協力と支援なくしては考えられないものでありました。幸い本町においては皆さまの深い理解とご協力、そして何よりも温かい心によって、県内でいち早く民泊受入れ家庭100%を達成いたしました。
このことは、以降の態勢づくり、内容の充実に関し大きな影響を与えることとなり、民泊早期達成がその後の諸準備に余裕を持たせ、大会開催時の民泊する選手団に心よりのもてなしと喜んでいただくことにつながってまいりました。
民泊実施にともなって行なわれた共同調理も、長期にわたっての講習や実習に取組まれた各婦人会の皆さんの努力と献身的な参加によって、沖縄の味を選手団の皆さんに知らしめただけでなく、沖縄の人情、佐敷町民の温かい心を伝えるものとなっておりました。
こうした海邦国体成功へ向けての諸取組みの中で、特に心強く、また頼母しく感じられたのは、佐敷、馬天両小学校の児童の金管バンド隊の練習、佐敷中学校生徒の皆さんの吹奏楽の練習でした。夏休みの何日かを返上し炎天下での練習は、必ずや海邦国体の成功を勝ちとることを確信できる姿でありました。
町老人クラブ連合会の皆さんの大会開催時に街角を飾る花づくり、そして、町老人福祉センター構内の再度にわたる清掃、美化のための奉仕活動なども、地道な活動でありながら、今国体の成功を支えるひとつとなってまいりました。
各婦人会の取組みは、広範囲に及び、共同調理や選手団のお土産となるデイゴのコサージづくり、生活改善グループの味噌づくり、さらに環境美化、そして、大会当日の湯茶の接待等、大会成功の大きな力となっておりました。婦人の力、和のパワーを目の当りにすることができました。
町内各種団体の陰からの支えも数多くありました。海邦国体がこのように感激の内に、
また、印象深く終了することができましたことは、町民の皆さま一人ひとりの積極的な参加と沖縄県民の持つ温かい人情によるところが大であると今さらながら強く感じております。
町民の皆さまの海邦国体成功へ向けてよせられました多くの力、多くの心に、いま第42回国民体育大会を無事終えまして、心より深く感謝する次第であります。
数多くの活動と、さまざまなふるさと・佐敷をおもう心がひとつになり、海邦国体の成功という一大事業をなさしめました。町民の皆さまのこれまでの努力とお力添えは、今後の「まちづくり」にもきっと生きてくるものと信じております。
本町には、昭和64年、厚生年金休暇センターも建設され、さらに「マリンタウン・プロジェクト構想」も始動いたしております。21世紀の佐敷町へ向けて新たな一歩が踏み出されております。
町民の皆さま、どうかこの海邦国体の成功で勝ち得た成果と自信、そして、一大事業を成し遂げた充実感を新たな原動力として今後とも「明るく健康な町・佐敷町」の発展にご尽力いただきたいと存じます。
最後になりましたが、第42回国民体育大会「海邦国体」を成功裏に終えました喜びを表しますとともに、町民の皆さま各位のご支援、ご協力に対し衷心より御礼申し上げます。