なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

くしゆっきい41 南風原博士

1950年ごろ「佐敷診療所」では、南風原朝保、瀬底正俊(歯科)の両先生が医療活動で地域に貢献し、人々に感謝されていた。
当時、南風原博士は桃原屋取に住んでおられたが、住宅の入口に「ここにはタンメーは
いません。先生がいます。オバサンもいません。奥さんがいます」と貼紙がされていた。
住宅に物売りが来て、「オバサン野菜はいりませんか」「タンメーはお元気ですか」と気軽に言うのを非常に嫌がっていたようである。頑固親父らしい微笑ましい話である。
そのころ診療所は、小学校から水を貰って使用していたが、学校も水不足で困り診療所に対し水の使用を禁止した。このため、診療所では、毎日看護婦が水汲みに字佐敷の水タンク通いをしなければならなくなった。
南風原博士は、余程頭にきたようで琉歌を学校長宛に送ったということである。
「あたら看護婦に 水汲まぐわしみてぃ ちむぬ しぬばりみ学校大主」
歌で自分の気持ちを伝えるとはなんと風流な話ではないか!
「佐敷診療所」は1946年に所長、宮城松青氏。歯科担当、瀬底正俊氏。看護婦、産婆六人でスタートした。宮城氏が大阪に転出した後、南風原博士が所長になった。豊見山昌一医官補のほか看護婦、産婆では与那嶺ちえ、新里光、知念よし(屋良)、稲福とみ(国頭)平井よし、真栄城和子(吉野)、宮城喜美枝(照喜名)、嶺井よし(故人)さん等が務めていた。1951年、医師、歯科医師の個人開業が始まり、佐敷診療所は廃止された。       (真栄城勇)

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大分類 テキスト
資料コード 008440
内容コード G000000551-0013
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第121号(1987年9月)
ページ 5
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1987/09/10
公開日 2023/11/17