昭和の10年代は、日本列島全土に不景気風が吹き荒れていた。現在の市町村交付税のような国庫下渡金、国庫補助金などで市町村の財政を支えていた。
学校教員の給料も村の収入役から支払われていた。予算繰りの悪い離島村などでは、数カ月も給料の不払いの村などがあって、深刻な社会問題にまでなっていた。
小学校長の玉城正保氏が、収入役から教員の俸給を一括受領に来て、役場の宿直室で四方山話に花を咲かせていた。
手持ち無沙汰から、役場と学校とで勝負ごとでもしようともちかけた。きょうは、少し酒が入っているから室内勝負の腕相撲はどうかと玉城校長が提案。よかろう、と話が決った。
早速、玉城校長、自慢の右腕の洋服の袖をまくり上げて、腕をL字にまげて力瘤を見せての示威運動。見た目通りの強さであった。
結果は、玉城校長一人に役場勢は総くずれ、アッサリと全員が惨敗に終わった。
その時すかさず、役場の当真嗣善氏が「腕相撲は負けたが、役場には脛相撲なら無敵の持ち駒がある」と脛相撲を挑んだ。玉城校長は何相撲でもござれと、胸を張って受けて立った。
当真氏は「普通の脛相撲では面白くない。双方の脛の間にカミソリを狭んでの勝負にしては」と提案。玉城校長、ビックリしてちょっとためらっていた。カミソリの刃は役場の方に向けてもよいとのこと。はてなと首をかしげ、役場の渡名喜元喜氏は木製義足の主とわかって、アッサリ降参。
役場勢は、不戦勝で双方一勝一敗で幕となった。(由良武美)