初年兵のころであった。「これをシンザト班長殿に届けてこい」といわれて、配給品を持たされたことがあった。
シンザト姓だから多分沖縄出身であろうと内心期待しつつ、届けに行った。班長殿は小さな声で、「ター、ユー、ムー、ヤー、トゥー」と配給品を数えている。
班長殿はウチナーンチュに間違いないと思ったので「班長殿は沖縄の出身でありますか」と聞いてみた。「うん、そうだ。どうして君はわかるか?」 「班長殿が、ター、ユー、ムー、ヤーとやっていましたので……」 「あっ!! そうか」。
2人は思わず大笑いした。地獄で仏、これが縁で新里班長殿には可愛がられたものである。
残念ながら、新里健介班長殿は終戦間際に戦死し一緒に復員できなかった。班長殿が、新里光さん(津波古)の義弟であることを知ったのは、それから数年後のことである。
戦前、東京のあるデパートで買い物客が「おつりはサジッセンだね」というのを聞いて「あなたは沖縄出身ですか?」と尋ねたら、ズバリ的中したという。
沖縄では、30銭をサジッセンという人が意外に多かった。沖縄戦後、B円時代にもサジッセンの言葉は残っていた。いや、1958年、ドルが通貨になってからも30セントをサジッセントという人は多かったように思う。
30円はちゃんとサンジュウエンというのに、どうして30銭の場合はサンジッセンといわずにサジッセンというようになったのだろうか。 (前)