この提言は、老骨のたわごとかもしれない。
町議選挙戦で感じたことである。全候補者は、これからの町政を担う選良となられる方である。当落は別として私は各候補者に門前に出て、手を振って声援をおくった。私は一票しかないのだが、おべっかであっても私の声援をいまいましいと思っていた方はないと思う。
しかし、各候補者とも、車を飛ばしマイクいっぱいのボリュームで流して走り去って行くのが大半だった。激しい選挙戦で、それはそれなりに各自の戦法で異存はない。
狭い佐敷町、自動車レースでもあるまいし、そんなに急いで何しに行くといいたくもなる。
町の広報車、農協や各種団体の会合や集会等の宣伝、広報にもいえることだが、4、5軒先からの広報、宣伝のマイクの声がかすかに聞こえ、聞き耳をたてていると、門前にはや来て「町からの広報、農協からの宣伝です」となる。かんじんの広報、宣伝の内容は、4、5軒先を走り云っていて何もわからないのである。
なんのための広報、宣伝かとあいた口がふさがらない。
各字内では現在の速度を半減するなりし、ユックリズムで町民の皆さんに聞いていただくような広報、宣伝にしてほしいと願うものである。私のような老骨にはなお更のこと。 (J・B生)