小学生の頃、母に連れられて、宮城徳清村長の就任祝賀会に行った。『佐敷村誌』によれば宮城氏は7代村長として昭和6年6月15日就任となっているので祝賀会は昭和6年だったようである。
祝賀会では多くの方の祝辞が述べられた後、沢山の出し物で賑わった。「鎌の手」「ティンベー」なども演じられたが特に「獅子舞」は迫力があり、獅子が飛びかかって来はしないかとハラハラしながら見ていたものである。
ところで子供にとって来賓各位の祝辞は退屈この上もない。その中にあって新村長の挨拶は今だに忘れられない。
屋比久の「ヤ」はヤーサヌ、「ヒ」はヒーサヌ、「ク」はクリサヌと述べたあと、こんな状態であるから字屋比久はどうなるのだろうと心配していたが、この度わたしが村長になったのを契機に字屋比久も立派に成長していくのではないウチかと思う、というような主旨の沖縄口による挨拶であった。
生活の基本である衣食住と出身地の屋比久をからませた素晴しい方言演説であった。後年屋比久孟徳氏が県会議員に出馬した際、これを引用して屋比久の「ヤ」は…とやって好評を博した。
30年くらい前までは村長選挙、立法院議員選挙で方言演説を聴く事ができたが最近では方言演説を聴く事がなくなった。標準語の普及でその必要がなくなったのだろうが味のある方言演説が聴けなくなったのはさびしい限りである。
城間万清(津波古・故人)仲村誠安(冨祖崎・故人)氏等も方言演説の名弁士であったがこれに続く人は出ないのだろうか。(MN生)