本町における海邦国体の成功を祈念して、鳥取・郡家(こうげ)町から同町助役蓮佛亀太郎氏にたずさえられた国体旗がやってきました。
12月12日午後、役場議会室で町国体事務局員はじめ職員の参加で第一次の国体旗引継式が行なわれ、ひき続き六時半より会場を町老人福祉センターに移して、町民はじめ多くの関係者の見守るなか国体旗引継のセレモニー、国体成功へ向けての講演二題が行なわれました。
引継式は、金城清助役の開会のことばで始まり、続いて国体町実行委員長でもある山城町長の歓迎のあいさつがありました。山城町長はあいさつの中で「本町の国体成功を心からお祈りいただき、さらに本町の視察団受け入れなど多面にわたるご協力に町民にかわって感謝申し上げます」と、これまでの郡家町民のおしみない協力にお礼を述べていました。
国体旗の引継ぎは、「海邦国体での成功をお祈りいたします」との力強い激励のことばで蓮佛助役から山城町長に手渡され、会場から盛大な拍手が起りました。広げられた国体旗には、「海邦国体の御成功をお祈りします。郡家町長小林実」と墨痕鮮やかに書かれてあり、拍手は更に高なりました 引きつづき、蓮佛助役によって国体旗引継の辞(町長の代読)が読み上げられ、国体実行委旗とともに郡家町の名産の焼き場が山城町長に手渡されました。山城町長は、これに対し「みなさんの実行力と成果を生きた教材に町民一体となって海邦国体を成功させるために頑張ります」とあいさつ、本町の将来の産物ともなるデイゴ木地の琉球漆器を贈りました。
わかとり国体の計画、実施、成功、成果を語る講演は、「国体開催準備状沢」を国体郡家実施本部長でもあった蓮悌助役、「民泊・町民運動の取組み」を郡家町国体対策課衣笠日出男課長が担当されそれぞれ貴重な体験を生ま生ましく再現し、この日参加した人々に大きな示唆を与えていました。
二題の講演の中でも、特に「お金よりも心で選手団を迎えることが大切」「国体終了後、町にとってプラスとなるものにし、継続できる運動・取組みに」「自分たちの地域は自分たちの手でやるんだという町民運動に」などが強調されていました。
ホッケー、少年野球の二種目を担当した郡家町の数々の取組みはこの日参加した町民、関係者一大ひとりに新たな意欲と、より具体的な「海邦国体成功への取組みのあり方」を示していました。
民泊実践記録 ⑦「くにびき国体」島根
民泊にふれて 八雲村農業 安達智子
まだその余韻が残る毎日の明け暮れである。不得手な料理や中古品の利用を、心の料理や器具でカバーしようと迎えた6人の選手。お互いユーモアを交えた初お見合いのお茶会でスタート。お互い方言まじりで、再び標準語に直しての爆笑対話。
なんといっても楽しかったタ食の大家族団らん。島根を、八雲を、わが家を話し、宮崎を、一人ひとりの家族を聞くなど、夕食の談笑は食ぜんの片づけもそっちのけだった。
朝はわが子とともに送り出し、帰ってくるなり「どうでした」と尋ねると、心なしか、朝の笑顔とは異なって浮かぬ顔。ハハァと察知し、それから先は尋ねる心をおさえる。そのことを、選手たちは更に察知し、感じていたことを後日、話してくれたのも殊の外うれしかった。
こうして楽しい日々が経つにつれ、主客間の間隔も薄れるころ、一週間が終わりをつげた。
はじめは、接遇につとめて老人(祖母)をひかえめにした気持ちを、彼等は逆に慕って、常に主人公にと引き立ててくれた心づかい、心情はうれしかった。
いよいよお別れの日、隣家も同じ宮崎県(四人)。閉会式後、隣家と合同で盛大なお別れパーティー。島根と宮崎の歌合戦、珍芸、福引き、銭太鼓の教習、サイン交換、記念撮影と時の経つのも忘れ、感涙むせぶ謝辞を残し夜11時、酒の飲めない山城さん運転のレンタカーは宮崎へたった。出雲の山村の百姓家のありのままの姿で接したふれあいが、このような輪になろうとは想像もしなかった。
よろこんでもらった陰には、村の指導もさることながら、地元自治会の協力、手作りの民泊案内標識、毎日交替での食品材料の各戸配達等、協力に感謝している。民泊で開会、閉会式もテレビだったが、感動したのは閉会式後の恒松知事さんの胴上げ。感涙にむせんで私も一緒に胴上げしている気持ちだった。
一人ひとりの顔を浮かべながら、いつの日か、また会える日を楽しみにしている。