向き、不向き
人には、「向き」「不向き」ということがあるといわれるが、その意味するところはこれまでなかなかつかまえきれないでいた。
「得意」「不得意」という範囲はそれなりに理解できてはいたが「向いている、いない」はなかなか実感とはならないでいた。ところが世の中よくしたもので、このような鈍感な人間にも囲りが授業料ナシで教えてくれるのである。
待たなくても来る「ボーネンカイ」シーズンがその授業期間なのである。ニービチの被露宴をはじめ、何やかやの宴席における余興もその授業の一環ではあるが、なんといっても年末の授業の他にこの実感を味わせてくれるものはないといえる。
実をいう私が、その「不向き」の典型なのである。歌……何よりも音痴、踊り……リズムが先に行ってしまう、諸芸……芸のないのが芸、という次第なのである。席に居るだけで座がしらけるといった見ようによっては貴重な存在なのだ。挑戦もし、努力はしてみるのだが、これだけは天が味方をしてくれない。
ある時、清水の舞台に立ったつもりで宴席の余興に望んだ。自己の「不向き」を心にすえて……。
あにはからんや、大うけにうけたのである。直立不動で演歌を力ラオケの伴奏とは別行動でガナリ立てただけなのである。特に若い女性にうけにうけたのである。なかには、美しい(?)笑顔を人にみられたくないのか赤くなってうつむく女性もいた。
何のことはない「不向き」が解消