海邦国体の成功へ向けての最後の大型調査団が、10月19日から22日までの4日間の日程で第40回国民体育大会・鳥取県「わかとり国体」の現地調査にあたりました。本町と同じ軟式野球(少年)の会場となっている鳥取県鳥取市郡家町に山城時正町国体実行委員会長を団長にして調査は行なわれました。
調査団の構成は、町区長会代表3人、町婦連代表2人、町青連代表1人、商工会代表1人、町CGG代表、人、町野連代表1人、町体育指導員代表1人、町役場10人の20人のメンバーでした。
調査は、総合開会式をはじめ、参加する選手・監督・大会役員・競技役員等の輸送計画、開始式の式典の運営など、総合的なものから、軟式野球会場地(郡家町)の歓迎装飾、民泊家庭の状況、宿舎から競技場までの選手・監督等の輸送計画、その実際など細部にわたりました。
調査団は、民泊調査班、競技式典運営調査班、輸送・警備・施設調査班、歓迎・装飾調査班、協力員調査班の、5グループにわかれ、郡家町の実際の現場をつぶさにみてまわりました。本町と同じ競技の開催地とあって、調査団は郡家町の全体的な動きばかりでなく、民泊家庭の調理場を見学させてもらうなど、詳細なデータを収集していました。
11月1日、調査団は、町役場会議室において午後3時より今調査の報告会を行ないました。
「わかとり国体」における各分野での対応に関する詳細にわたる報告をはじめ、今後、本町が国体開催時までにぜひともつくって置かなければならない体制についての報告などがなされました。
なかでも、郡家町は、民泊体制づくりに2年間の期間をかけたことやボランティアの育成などに関する報告が注目をあびていました。
また、同町国体関係者よりの〝およびたりなかった部分〟の反省なども報告されました。
総括では、本町における海邦国体成功の鍵は、何よりも「町をあけての取組み」が必要とされていました。さらに、各集落単位で取組みができるように、早期に具体的な計画を現場・担当・関係者におろしていくことが強調されていました。机上、図面の上だけの計画を練るだけでなく、現場の段階で具体的な取組みの検討ができるような体制づくりの必要性が語られていました。
また、会場の整備だけでなく、町内各所を一目で観ることができる案内板、サインシステムや広告塔の早目の設置も話題にのぼっていました。
民泊実践記録⑤
選手団を迎えて
島根県掛合町町民運動推進員 原 雪枝
地区民総ぐるみで取組んできた国体。民泊を引受け、万全を期して準備に明け暮れた国体。
あっという間に終わってしまうと、これからは何をすれば良いのやら?と、しばしぼう然とした気持ちになる。
意見の衝突、いろいろな不安を乗越えて、地区あげて選手を歓迎しようと、心を一つにして頑張って来た地区民の顔はとてもさわやか。 一生懸命やったんだという満足感にあふれていた。
今春、雪も溶け始めるころになると、町で国体食の講習会が始まり、集落に帰っての講習で男も女も一緒になって試食会を開いたことは、国体ムード盛上げに大へん役立った。
また。今年こそ、きれいに花を咲かせなければと、各家庭へ種の配布のほか、一農家へ苗作りを依頼しての花作り、老人クラブも国体に一役と集会所の花作りを手がけて頂いた。73歳になるおばあさんは、全国から来町される選手へ歓迎の気持ちを伝えようと、激励の言葉を記した手ぬぐいを自費で制作、選手の皆様は、温かい心に感謝をして受取ってくださった。
地区民あげて生い茂ったヤブ刈り、道路端の草刈りもすませた。民泊家庭の前には歓迎アーチもでき、心をこめて育てた花も美しく咲き誇り、全戸から参集して、選手団を出迎えた。
さあいよいよ本番と、婦人は早朝から食事の支度に取組み、おいしく食べて力いっぱい戦ってもらおうと、赤飯やおモチも作ったりして。男の人は、買物の世話をしたり、ふとんを干したり、垂れ幕を作って応援に出かけたり、婦人も食事の支度の合間には皆で応援にも出かけた。
だんだん、選手との心も通い合い「頑張ってね。ご苦労さま」と声をかけながら、疲れも忘れてお世話をしているうちに「大へんお世話になりました。また遊びに来させてください」とお互い名残を惜しみながら、お別れをするときが来た。
こうして、国体を通してふれあいと、連帯感の高まりは、今後、この過疎の地にも活力を与え、心豊かな町づくりにも役立つものと確信しています。