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まごころで選手を迎えよう 民泊体制づくり本格化 第2回宿泊衛生専門委員会開かる

海邦国体の会期が夏期9・20~23日 秋期10・25~30日に決定しました。
62年海邦国体の会期が正式決定され、本町においても大会成功へ向けての動きが活発になっています。会期正式決定に先がけて9月30日にも、町老人福祉センターにおいて午後6時より、第二回宿泊衛生専門委員会が開催されました。国体成功の鍵をにぎるといっても過言でない選手団の民泊体制づくりを審議する委員会とあって各委員は真剣そのものの討議をしていました。
会は、まず、映画「大いなる出会い・栃の葉国体宇都宮」が上映され、栃木県の国体への取組みを学びました。映画では、競技内容や地元選手の活躍を紹介しながら国体成功のもととなった民泊の様子なども詳細に紹介していました。映画にひきつづき、今委員会の主要テーマである民泊体制づくりが審議されました。事務局より先催地である島根、奈良両国体においての視察報告があり、宿舎、食事など民泊の実際が紹介されました。そこでは、先催県の特色あふれる民泊体制などが報告されていました。
審議は、事務局の作成した宿泊・衛生実施計画(案)に基づいて行なわれ、食事、寝具、さらに期間の問題などが審議されていました。また、リハーサル大会における体制づくりなども質問事項として出ていました。
審議の中では、委員の任期の問題も提議され、体制づくりの根幹にかかわる問題でもあり慎重な質議がなされていました。二年先の開催とはいえ、同専門委員会はいよいよ本格的な体制づくりをスタートさせました。
今専門委員会では、目島憲幸氏を新委員長に選任したのをはじめ新任の各自治会長さんへの専門委員委嘱状交付も行なわれました。
国体成功へ向けた活発な審議がなされた専門委となっていました。


民泊実践記録④ 民泊を引き受けて 島根県宍適町一区 野津安雄 
「くにびき国体を成功させよう」を合言葉として町民運動が展開され、私も民泊を引き受けました。初めは不安と心配があったが、数回の打ち合わせ会が開催され、主婦が一番気にしていた食事についても国体食の講習会、試食会などの回数が重ねられ、また、接客マナーの勉強会などを受けて、一段と自信と認識が深まってきました。
選手に贈る「おみやげ」は、民泊家庭で手作りをしたものを贈ろうということとなり、銭太鼓作りにきまりました。民泊家庭の夫婦、地域の協力の人、みんなが5、6日公民館で一緒になって作ることにより、一層親ぼくが深まり、民泊ムードが盛り上がって来ました。
各地区に、民泊と花づくりを中心に推進する国体協力会が設置され、地区の人々が自分のこととして自発的に参加し、歓迎、装飾、民泊家庭の炊事の手伝い、試合の応援についても、行き過ぎになるのではと心配されるほどのムードで選手を迎えることができました。
各選手が到着する民泊家庭、それをとりまく国体協力会、婦人会などの温かい、盛んな歓迎に選手も感激と驚きで、初めはテレくさそうであったが、宿舎に入り、民泊家庭との自己紹介、会食と心からの接待に、家族同様の雰囲気につつまれた選手は「お父さん」「お母さん」と呼んでくれるようになりました。
夜には国体協力会、婦人会による郷土芸能、銭太鼓、舞踊、神代神楽踊りの歓迎に、各選手も大喜びで銭太鼓、町民音頭踊りと続くにつれ、選手も一緒に輪になって踊るころは、歓迎会も最高潮となり、大勢の人々が皆、われを忘れて目がしらを赤くして歓迎会に参加いたしました。
いよいよ選手とのお別れの時がきました。民泊家庭前での記念撮影や駅頭での見送りで、列車が見えなくなるまで手を振り、再会を念じて別れを惜しみました。この心あたたまるふれあいは、国体民泊ならではの人情味豊かな生涯の思い出とともに、貴重な体験になったと感激をおぼえています。
民泊を通して選手とのふれあい、特に地域住民の連帯、親ぼくが、一層深まり、民泊をしてよかったと心から思うとともに今後の地域社会づくりにおおいに役立つものと確信をしています。(くにびき国体民泊実践記録より)

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大分類 テキスト
資料コード 008438
内容コード G000000517-0015
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第96号(1985年10月)
ページ 6-7
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1985/10/10
公開日 2023/11/09