先般の休日、町の青年連合会のメンバーが、町内の各所の公共施設を掃除して回っていた。「クリーン青年の日」ということで、日ごろ使用している公共施設の清掃奉仕を実施したのである。
冗談をとばしつつも、強烈な日差しのもと汗を流して、ゴミを集め、車に積みこむ彼等の姿には頭の下がる思いがした。また、頼もしくも感じた。
私には、青年たちに“ふるさと意識”の高揚が感じられ、日ごろの自分の“生まれジマ”に対するあり方をふり返えらざるを得なかった。
生活環境の美化、整備については、確かに行政の負うところの責任は大きい。しかし、個々の地域の住民一人ひとりのそれに対する責任も皆無とはいえない。個々人の自覚、地域の連帯によって解決できる問題も少なからずあると思う。
行政の負う責任に範囲はないともいえるが、目の届かないところ、手の行き届かないところは図らずも生じてしまうのが現実である。このような場合、当局への連絡なりで早期解決をはかるのも一方策である。
が、全てこれでよしとするのはいかがであろうか。問題の程度の差はあれ“ふるさと意識”で解決できるものも中にはあるのではないだろうか。地域で、自分たちで、という意識はなくしてはならないと考える。
青年たちのふるさとをきれいに美しくするための奉仕活動は大きなものを私たちに与えてくれたように思う。