「けものがたり」といってもこれは獣の話ではなく、人体の皮膚の表面に生えている体毛の話。
毛深い人のことを猿のようだという。なにも毛深いのは猿だけではない。哺乳動物には共通の毛さえある。人間のそれは、アダムとイブが「知恵の実」を食べてから差恥心が出、最初に足の付け根の三角地帯を毛でかくすようになったものと、いわれている。
また、人間の体には常に摩擦し合うところに毛が生えてくるとのこと。これは、物知り博士を自認する御仁の弁である。
この「博士」によると、脇下の毛は腕の内側と胸部の側面の摩擦を防ぐためであり、マツ毛は上下の瞼の摩擦を緩和するためのものだと主張なさる。「では、鼻髭はなんの摩擦のためによるものですか」と半畳を入れたら、「そこは幼少のころに鼻水を手の甲でこすっていたからでしょう」とのこと。
まさか、これなどは眉つばものである。
私が幼少のころは、薬缶頭の禿茶瓶のおっさんと道で行き過ぎに、禿と禿とが喧嘩してどちらも毛が無く(怪我なく)よかったね、と大声をはりあげて逃げまわったものである。
俗にいう、かわら毛は女性に多いという。これは無毛の女性のことで、昔、遊廓などでは、そのような女性と枕をひとつにすると、商売人は「儲け無し(毛けなし)」
と嫌ったとのこと。また、鳶職人などの荒仕事をする人たちの間では、「怪我なし(毛がなし)」と大いに歓迎したとか。
物事は、各人都合のよいように解釈する禍福の縁起によるものである。では、また。(平良亀順)