ふれあいの民泊で 本町に宿泊する選手、監督は約290人
昭和62年10月に開催されます「海邦国体」は、沖縄県の歴史にのこる一大スポーツの祭典です。
県下各地で各種の競技がくり広げられますが、私たちの佐敷町では軟式野球(少年男子)が開催されることになっています。
国民体育大会は、各種目で技を競うことはもちろんですが、全国から集う人々のふれ合いの場でもあります。選手と選手が、選手と地域の人々がふれ合い、交歓し合う大会ともいえます。
競技開催時、佐敷町には監督、選手全員288人(16チーム)が宿泊することになります。しかし、本町には、このような多人数が同時に宿泊する施設がありません。競技役員、その他大会参加者については、那覇市内の旅館等を利用し、広域配宿で対応しますが、監督、選手は一般家庭を宿舎とする民泊に頼らなければ大会の成功は不可能です。
わが佐敷町での民泊は、不足する宿泊を補う目的はもちろんですが、美しい自然、伝統文化、そして佐敷の人々の人情を全国の参加者に紹介するよい機会ともいえます。先催地でも、民泊の家庭的雰囲気の中での温かなもてなしが選手達に感銘を与え、国体成功の大きな原動力になったといわれています。
民泊体制づくりは、今はじまったばかりです。今後は、町民の皆さまの深いご理解をいただき、一日も早い体制づくりがいそがれます(下記はくにびき国体の民泊記録です)。
民泊実践記録①
民泊を引き受けて 島根県安来市社日町 上田艶子
10月2日、長崎県から少年軟式庭球の選手六人と監督の先生一人を私の家へ迎える日が来た。 今までガラス拭きなどしたことのない主人が、二日がかりで磨いた家中のガラスが輝き、新しい砂を入れた庭にはほうきの目も美しく、遠来の客を待つばかりである。
親類の客とは違い、長崎県代表選手として競技するみなさんをお世話するのだから、責任は重く、不安を感じながら今日を迎えていた。
町内の方に案内されて選手団の到着。庭先では、春から手入れをして来たサルビア、マリーゴールド、ベゴニアが、この日を待っていたかのように鮮やかに咲いて選手を迎えた。
心ばかりの歓迎会の後、選手は練習場へ行き、私たち(妹と町内の人三人)は国体食の献立表を見ながら、夕食の準備にとりかかった。今夜は栗御飯、さつま汁、チキンカツ、湯豆腐、みぞれあえ、おひたし、漬け物、果物である。栗は裏山で拾い、昨日から用意をしていたし、米は島根県自慢のコシヒカリである。選手たちは、おいしいと言っておかわりをし、きれいに食べてくれたことはうれしかった。
いよいよ試合の日が来た。主人は、床の間に国体しめなわと栗(勝ち栗のつもり)を飾り、前祝いの赤い杯を監督の先生にすすめた。必勝を期して選手は出て行った。家でじっとしていれなくなった私たちは、競技場へかけつけ、胸をドキドキさせながら応援したが、和歌山にわずかの差で惜敗した。この日のために苦しい練習を重ねて来た選手の気持ちを思うと、慰める言葉もない。
四泊五日間のふれあいは終り6日の朝、元気に長崎へ帰って行った。試合には負けたけど、病人は出なかった。銭太鼓は覚えてもらったし、少年たちの歌も聞いた。清水寺やガット工場へも案内し、私たちの安来市を少しでも心に残してもらうこともできた。
選手を送った後、ひどく疲れを感じたが、大きな責任を果たした喜びと、国体に協力できた感激が、より強く私の心に広がっていた。