なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

くしゆっきい⑯ 色艶筆(その3)

同じ扁額でも、それが掲げられる所のちがいで、受けとめ方も大いにちがってくる。
ある篤農家の欄間に掲げられていた。逆流に挑む小舟が描かれ、「漕がなまたなゆみ、夢の間の浮世、極楽の港、着ちゅる間や」とある。この額は、当時、各家庭を回って訪問販売していた安物。
私なりの解釈だが、「生きて健康で、できるまでは働け」という意味の教訓歌だと信じていた。
同じ扁額を、それから間もなくその道の粋人で先輩の當真嗣善大兄に誘われた当時の赤線街の栄町で見た。ふと見上げたら、そこの欄間にも例の小舟の絵と琉歌の額がかかっているではないか。
これが、先の篤農家の”働け”という教訓歌の意味だとはどうしても思えない。反対に「夢の間の浮世を大いにエンジョイし、享楽して遊べ」ということにとれてしまうのである。
私なりの艶かしさ、艶っぽさが脳裡をよぎった。同じ絵と歌であるが、掲げるところを異にすればどうしてこうも違ったものを感ずるのであろうか。
また、「夫婦舟」の歌詞だが「夫は帆柱に刀自(妻)は舟心」「極楽の港着ちゅる間や」「時の来るまでや漕がねまたなゆみ」とある。
これも、死んで灰になるまでは、と男女関係の艶歌のような気がするが、私には、その道では浅学非才で、教訓歌か艶歌なのか、扁額のことと並べて分からないもののひとつである。
へそまがり根性の、やぶにらみ、近視眼的発想、ひとりよがりの、うかつな偏見なのだろうか。読者のみなさんなら、どのように解釈なさるか。(信天翁)

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大分類 テキスト
資料コード 008438
内容コード G000000513-0007
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第92号(1985年6月)
ページ 5
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1985/06/10
公開日 2023/11/09