沖縄戦前まで、字津波古には、多和田殿、大松当殿、外間殿(安次当殿)、喜屋武久殿の4つの殿がありました。村づくりを始めた4家の祖の住居跡です。建物は、奥行き約3・50メートル、間口も同じく3・50メートルの茅葺き、三方石積みまたは石柱の建物でしたが、明治になって瓦葺きになったものもありました。戦災をまぬがれたのは、喜屋武久殿だけであり、昔を知る貴重な文化財となっています。
同殿は一書には、津波古殿ともあり、四方雑木に囲まれ赤瓦をのせ森厳と建っています。3月や5月のウマチーのときには、新里、小谷、津波古の各字がかかわりあって行事が行なわれ、村の原点をしのばせます。
深い信仰の対象ともなっており、祖先崇拝のメッカとなっています。