なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

くしゆっきい⑮ 色艶筆(その2)

むかし、中城御殿(王の長男の住居)造営のときのこと。普請奉行の座喜味親方は融通のきかない石部金吉の堅物(力タブツ)で、大そう厳格なことでは評判の方だったとのことである。
ある朝、1人の女人夫の遅刻を係の役人がとがめていた。おりしもそこへ親方が通り合わせたのである。役人は引っ込みがつかなくなった。親方は、その女大夫に向って遅れた訳をたずねた。
居合わせた人たちは〈これは大へんなことになった。ことと次第によっては、この女大夫、平等所に引っぱられるかもしれない〉と同情した。女も〈こうなったら仕方がない〉と、あきらめたのか、顔はこわばらせているが、静かなロ調で親方の問いにこたえた。
「どうぞこの理由を歌で申し上げることをお許しください」
物事に動じないさすがの座喜味親方も、ちょっと面くらってしまった。どうぞお助けください、と泣きつかれることを覚悟し、緊張して待っているところに、かぼそい声で歌にてご返事をといわれ、親方は一瞬とまどったのである。
「何! 歌で返事をする!」
「良いから、言うてみなさい」
「ハイ、では申し上げます」
「かなし手枕や 明ける夜も知らぬ 庭にさすてだ(太陽)や御月ともて」
ぬくもりもまださめやらぬようなロ調で歌いだされては、さすがの親方も「ウヌクトヤレエ(そのような事情なら)ウクリティンユタサン(遅れてもよろしい)」と感心せざるを得ず、何のおとがめもなく立ち去ったとのこと。この話もまた、大川市役所で玉城敬丞さんから聞いた話。(信天翁)

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大分類 テキスト
資料コード 008438
内容コード G000000512-0007
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第91号(1985年5月)
ページ 4
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1985/05/10
公開日 2023/11/09