私の祖父母達は今からおよそ70年前に沖縄からハワイヘ移住しました。私は沖縄の3世です。11カ月前ハワイから沖縄に来ました。自分のルーツをさぐることが目的であり現在でもその目的は変わりません。この11ヵ月間で祖父母達がどんなすばらしい国からハワイヘ移住し、そしてどれほど苦労なさったのか少しわかってきました。私はここで習ったことをいつまでも大事にしようと心がけています。旅にでたらその目的地のことだけではなくて、途中の学習も大事だと思います。今日私はその習ったことについて話したいと思います。このことは本や講義やスピーチから習ったわけではありません。ごくふつうの人々から習いました。私は沖縄に来て色々な人と出会いました。南米・北米・アフリカ・東南アジア・中国・ヨーロッパ・日本本土の人々です。
その国々の人々の中には若い人、としとっている人、あたまが良い人、そうでない人もいます。このような色々な人々と出会って、大切なことがわかってきました。人間には口がありますが、私達のロはたべものを入れるだけのものではないと思います。知らない人を見たら私は話しかけようと思いますが多くの場合、はずかしいと思って話しをしません。けれども、知らない人に話しかけた時には、あとで、よかったなーと思います。
だまっていて損することはないですが得にもなりません。
人間の目や耳は、かざりではありません。そして人間はみんながそれぞれの意見・宗教・政治意識などを持っています。人の心はさまざまだから、それはあたりまえのことではありませんか。自分とちがう考え方を持つ人に耳を貸さないのは大きなまちがいだと思います。なにが良いかわるいか私がいうべきではないと思います。たとえば、もし私が日本人に「日本のトイレはつかいにくいからつかっていけない」と言ったら、おろかに見えるでしょう。
コミュニケーションは言葉だけではないと思います。体の全体をつかってコミュニケーションできます。これを英語でボディラングウェジと言います。ボディラングウェジはほとんどの場合につうじると思いますが、つうじない場合には手を上げて、カチャシーをやるほかはありません。ある歓迎会を思い出します。お客さんたちは韓国人とインド人とタイ人でした。
おたがいの言葉をわかりませんでしたが、いっしょにカチャシーをおどると言葉の必要がなかったのです。
しかしながらとくに言葉とボディラングウェジやおどりがうまくできても、心がこもってないといけないと思います。沖縄の人々が「チュ・ククルル・デーイチ」と言います。考えを心から出さないとコミュニケーションにならないと思います。おどりも心からやらないとかたち以上にはならないと思います。
ハワイでは「アロハ」ということばがあります。「アロハ」は「こんにちわ」「さようなら」「おやすみ」そして「あなたを愛しているよ」という意味も入っています。
このことばにはハワイの人々の親切さがあらわれていますが、今では意味がかわってきました。「アロハ・サービス」や「アロハ航空会社」などとなるとなんとなく意味がちがってきます。もし沖縄で「ククルル・デーイチ」という航空会社ができたら大変なことだと思います。
ハワイではツーリストとトラヴェラーを区別します。ツーリストが(日本語で観光客というでしょう)ハワイに来て、写真をとっておみやげを買って、そして国へ帰ります。トラヴェラーは(日本語で旅人でしょうか)ハワイに来て色々な人と交際したりハワイの観光地以外に出かけたりしてたくさんのことを習ってから国へ帰ります。持って帰るおみやげはプラスティック・レイかアロハ・シャツより貴重だと思います。私に心が一番大事であることを教えてくれた沖縄のしんせきと友人達に、世界の各地からきた友人達とともにお礼を申しあげたい。そして沖縄のねんぱいの方たちへ申しあげたい。「私はときには、あなたたちの方言はわかりませんがあなた方の心がよくわかります。どうぞもっとたくさん教えてください。」
ニヘーデービル アロハ
参考文献
島袋善光『諺に見る沖縄の心』
*本稿は、留学生による日本語弁論大会の草稿です。ご本人の意志を尊重し、原文のまま掲載いたしました。
上運天・巖・ウェスリー氏のこと
父母のふるさとの美しさ、人の心のあたたかさに感激しているとおっしゃる上運天氏。
1960年、米国ハワイ州ホノルル市生まれ、24歳。
父母は、佐敷村字新里桃原出身の日系3世。ハワイ大学教養学部社会学科卒業後、昨年4月から海外移住者子弟留学生として、琉球大学教養学部で日本語、社会学等を学んでいる。