慰霊祭今昔
現在の慰霊祭を戦前は招魂祭と称していた。
当日は文武百官というと、ちょっと大げさな表現だが、村を挙げての参列者は次の序列で、村長を始め、その次が小学校長、村駐在巡査、郵便局長、議員、区長、在郷軍人会員、赤十字社員、憂国婦人会員、国防婦人会員、小学校生徒、 一般村民の参列で、那覇市の護国寺か大典寺などの住職、僧侶を招へいして、山海の珍味を供えて壮厳に読経を上げてもらい、全員が御焼香を上げる。
式典が終ると、例年の通り役場吏員が会場の後片づけを終えて役場に引きあげて行く。お供物の神酒で英霊に慰霊の杯をささげたホロ酔気げんのところに、後片づけを終えて帰ってきた小使の三良父に、当てつけかましく几帳面な楚南収入役が、供物の点検をして品物が1つ足りないと問いつめたので三良父も負けてはいない、 「あっ、あの鰹節のことですか。あれは,あのクヮボージ小(小僧)が、スビチハティ(持ち帰って)、ネエヤビラン(ありません)と、やり返えしたので全員が爆笑して一件落着。(字佐敷 平良里之子)
師走雑感
師走とはよくいったものだとつくずく感じる今日このごろである。何がそうさせるのか、自分でもわからないぐらいにやたら忙しくなってしまう。忙しく思ってしまうといった方が真実かもしれないが……。
何をしようとしても、次にすることが気にかかり、気にかかったことをやり始めると、今後はしかけていた前のことが気になりはじめてしまう。これが、何となく”なる”のであるからたまらない。しまいには、こつのことを同時進行させようとしたり…。が、結果は明らかなのである。「ワッー」と声を上げて投げ出してしまい、またフリダシにもどるのである。そして、またはじめの状態にもどってしまう。
ものごとには、締くくりがあるといわれるが、師走がその時期であり、何とか締くくろうとお互いアセリが出てしまうのか。毎年同じようなことで反省し、同じようなことをしているのだが、いぜん改まる気配はない。
いずれにせよ、師ですらも走りたくなるというこの季節、事故のないようお互いに十分気をつけたいものである。(津波古・美成年)