去る大戦中、佐敷町の学童疎開先であった宮崎県西臼杵郡高千穂町から12月10日、なつかしいお客さんが町を訪れました。
この日、訪れたのは、当時の高千穂町の国民学校生徒7人(工藤茂虎団長)です。7人は、高千穂町議会議員で経済建設常任委員でもあり、佐敷町には農業視察を兼ねて訪れたものです。
お世話になった町の疎開児童には、山城時正町長はじめ、金城清町教育長など30人。39年ぶりの再会を喜ぶとともに、当時いろいろな面でお世話になったお礼をのべていました。
佐敷町からの学童疎開児は、200人であり、昭和19年から20年の2年間、高千穂町内の高千穂、押方、田原の3校に分かれて勉強していたということです。
39年前とのことでもあり、当時の顔と現在を一致させるのに苦労する人たちもみられ、当時の苦しかった話や、忘れられない楽しい話に花を咲かせている場面が多くみられました。夜には、町内のレストランで懇親会がもたれ、当時の話題で満ちあふれていました。