昭和21年といえば、戦地や疎開先から沢山の人々が郷里に帰って来た年で、結婚ブームの年でもあった。
そんなある日、親戚の結婚祝いの席での話。渡名喜元景さんが「大和口はむずかしいが、沖縄口はもっとむずかしい。皆さん”ティーフェー”というのを知っているか」と切り出した。
「イーフェー(位牌)の事ではないか」等いろいろ質問が出たが結局、誰も解らない。元景さん、ニヤニヤしながら「ジャーフェーティフェーなら解るだろう」といったので一同爆笑となった。
やはり終戦直後でこれと似た様な話がある。当時食料品類は売店(配給所)を通じて各区民に配給されていた。ある日、新里売店に大量の大豆が届き、農協と売店の職員がトラックから売店倉庫への運搬作業に従事した。
作業が終って一休み。「今日やウッチェー、ヒッチェー、クンチカーッタルムン」と農協の城間実さん(現、町教育委員長)がいったら、新里売店の平川先見(故人)さんが「ヒッチェーとはどういう意味か?」ときいたので一同は目をパチクリ………。
沖縄口にはこの様に対になったのが多く、下の句だけいわれると何の事か解らないのが多い。ほかにも沢山あるので列記してみた。
「ゴーグチ、ヒャーグチ」 「サンジャン、クンジャン」 「ユッタイ、クヮッタイ」 「チャックイ、ヒックイ」 「バッペー、ヒッペー」
「ユンタク、ヒンタク」 「イッスイ、カッスイ」 「タンカー、マンカー」 「ウンナ、クンナ」等あげればきりがない。沖縄口の持つ、独得の味といえよう。 (真栄城勇)