昭和60年度政府予算の折衝で上京した。厳しい沖縄関係の予算案の現実にふれ、寒さもいつもより強く感じられた。国や県の財政事情の悪化は、すでにマスコミはじめ関係諸機関からの情報で熟知しているつもりであったが、例年になく折衝に苦労させられた。
現在、わが沖縄は、これまでの歴史事情、さらに復帰特別措置などにより、高率補助が実施されているが、今後は、単にその面だけを期待しているようであってはならないと感じさせられた。というのも、復帰後すでに13年経過しており、その間の補助の目標達成率の問題を含め、政府の関係機関の沖縄への認識が大きく変わってきているという感じがするのである。政府の中堅職員に戦後派の人がふえていることもその原因といわれているが、なによりも高率補助の必要性の再検討時期に入ったということを今回は、特に強く感じた。
沖縄ばなれ、などと表現する人もみられるが、ある意味ではこのことばは正しくなりつつあるといえる。厳しい財政からして、高率補助がいつまで続くかしっかり認識する必要があると思われる。
今後の地方行政は、このような厳しさの増す状況を踏まえ、認識し、予算化された高率補助を最大限に活用し、その後の時期に備えていく必要がある。補助を単に消化するだけでなく、将来の発展の栄養といていかなければならない。私たちもその面の努力を怠ってはならない。