なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

読者から 慰霊碑三遷

現在の慰霊碑は,戦前は忠魂碑との名称だった。
日露戦役で志願兵として出征し、旅順港口封鎖作戦に参戦し、旅順の沖にかんばしくにおいとどめて壮烈なる散華を遂げた字屋比久出身の海軍上等水兵故知花清一氏字手登根出身の陸軍上等兵故森山紹仁氏の二軍神の武勲を顕彰した碑が、明治年代に現在のつきしろの宮境内の参道上り口の階段のところに建立されていた。その後大正年間にシベリア出兵戦で戦死した字津波古出身の陸軍上等兵故山城光太郎氏の三軍神を祀ってあった。
大正の年代になって、軍部の富国強兵、軍国主義の思想昂揚の具に供され当時の小学校構内(現在の佐敷小学校体育館玄関の北側)に移された。それも、去った沖縄戦で米軍の砲弾を受け現在は、佐敷町役場町長応接間の西窓際に全身創痩の身をさびしく横たえている。
終戦後は、現在の小学校体育館西隣に慰霊碑に変身して安住の地を得たかと思っていたが、それも束の間、現在の民主主義憲法の下ではそこも安住の地ではなく、先年現在の上城構外駐車場の片隅にアマムチ、クマムチして奉還されている。
ほんとに申し訳なく存じますが「孟母三遷」とのこともありますので、これも「時勢どやる」とおぼしめしいただき、その後沖縄戦で国策のため殉じた後輩1000余の英霊の合祀者の方々とともに、全町を脾睨するこの秀麗の地を永久の安住の地として、町民の幸せと発展を見守っていただきたいと思います。そして、この地球上に2度と戦争をひきおこすことのないような愚のない平和の守護神として神しずまりますよう祈念申し上げご冥福をお祈りいたします。合掌 (佐敷町字佐敷 平良里之子)

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大分類 テキスト
資料コード 008437
内容コード G000000504-0032
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第87号(1984年12月)
ページ 19
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1984/12/10
公開日 2023/11/09