なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

最近 ブラジル事情⑦  新田器一(津波古)

みどころ
珍しい処が沢山あり、2、3カ月の滞在でも見切れない程だという。その中でも、いの1番にサンパウロー市のブラジル日本文化協会の日本移民史料館をあげたい。
笠戸丸以来の移民船の写真を初め入植当時の住居・生活用具、農機具など実物が展示され、移民の方方の辛苦の様が理解でき目頭が熱くなる思いがする。
次に、沖縄協会。移住70周年に建設され、移民資料室や各市町村役所の写真、町・村誌、沖縄関係書籍など多数陳列されている。
沖縄関係の芸能公演などは、主にこのビルのホールを使用するとのことだった。広大な敷地には、博物館、植物園、サハリー動物園などもあるが、内容はいま1つといったところ。
世界一の規模と取扱い量を誇る州市場メルカードは、ブラジルの青果物の集散地で京都市場の10倍位の規模である。取引は全て相対売、荷受人の9割は邦人で、その6、7割がウチナーンチュ。言葉も日本語と沖縄語で通用し、迷子になる心配はない。夕方から夜中まで商われている。
荷主の大半は邦人で、45トン積みトラック4、5台も扱うらしい。コチャ産組の専属荷受人になると質、量とも抜群のため生活はゆとりがあるとのことだ。荷受けから売り尽すまで全て人力のため戦場のような忙しさらしい。当地の産業開発青年隊出身も多数がんばっており、力強く思った。
市中央市場は、サンパウロ市の繁華街マルソーにあって、中世風のりっぱな建物の中にある。世界中の食料品が取引きされていた。
主婦を対象とした小売りで、那覇の牧志市場を規模拡大したものと思ってよい。豆腐、納豆、湯葉、うどん、沖縄そば、何でもある。
ここの青果部でも県人が大半で、大声のウチナーグチがとび交い取引きがなされていた。
豆腐などは外人系にも大気が高く、ビニール袋に一丁宛入れられ売っていた。黒人や白人夫婦が手に提げてニコッとしていたのは印象深かった。胡瓜など新品種の開発が遅いせいか昭和10年前後に作られていた馬込半白系の胡瓜に珍しい思いがした。南瓜は黒皮、鉄かぶとが多く、エビス系も最近から入荷しつつあるとのこと。
セロリーなどは洗うと香りがなくなるというので、土づきのまま売られていた。ピーマンも赤は赤、青は青で山積みにしてあった。トマトは、ヘタ無しの中型が多く酸味も甘味も淡白のようだった。生で食べるより、肉料理に使われ煮て食べるという利用法らしい。所かわれば…と面白く思った。

島ことばなめらに早し隼人瓜
この市場内では、パンなども売られており、特に県出身者のつくるパンは美味しいとのことで大気があるとのことであった。各方面で活躍するウチナーンチュのたくましさには感心させられた。

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大分類 テキスト
資料コード 008437
内容コード G000000502-0040
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第85号(1984年10月)
ページ 19
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1984/10/10
公開日 2023/11/09