なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

最近 ブラジル事情  新田器一(津波古)

市内郊外を問わず伯国の方々は盆栽や花木を愛し、各家庭で観賞されて居る。高層アパートの窓々にはアルゼンチン産の葉の長い歯朶類を初めカトレアやアンスリウム、シャポテンの珍種等々。1戸建の庭にはつつじ、椿、バラ、桜、ポケ、アジサイに蘭やアンスリウムを鉢植にして生活に潤いを求めて居た。日系人の庭には外に竹、トクサ、エニシダ、南天など色とりどりだ。それで庭の花を見たら移民の母国が分るらしい。沖縄の方々で庭の広い家庭では苦瓜を棚作りして故郷を偲び楽しんで居られるのには涙をさそわれる思いだ。外にミカン、バナナ、ぶどう等を植えて家計の足しにして居るのもたのもしい眺めだった。

苦瓜に母国を恋いし如露雫(しづく)
移民のくらしは移住年数に比例して向上していくようだ。勿論個人差もあり、運不運にも大きく左右されるが、大方は十年目までは苦労の連続。20年目に安定期、30年目から飛躍して40年以上になると、2、3世の活躍で一世は安楽期に入るらしい。住民も二代、三代と続くほど豪華な邸宅が持てるようになる。一方運に見離されて異国の社会に溶込めずみじめな暮らしを余儀なくされる方々もいくらかは出るらしい。そういう場合は郷友会で模合など起して援助したり、どうにもならないケースは郷土へ帰す処置もとって居るようだがこういうケースは極く稀だ。
税金が安いということは裏返せば、国家のサービスが少ないということになるらしい。政治、行政に期待できないから自力で切開いていくしか道はないということだ。そしてそこに徹した方々は成功者となり、伯国は勿論、母国からも表彰、顕彰されて居る。

土となる魂が富呼ぶ熟れバナナ
教育
八・三・四制で初等教育八年、高等学校三年(定時制四年)、大学四年(定時制五年、医科六年)。週休二日、夏休み二力月、冬休み一ヵ月間、祝祭日も休むので実質的に授業は六ヵ月。だが、高校まで落第制度があるので、子どもたちは真剣に勉強していた。
学校施設は、校舎と体育館のみで運動場は無い。いたる所に公園や広場があるので、体育はそこを利用するとのことである。サッカーが盛んでちょっとした広場や車の少ない道路では、子どもたちが夢中でボールをけっていた。
移民の母国語の学校が、放課後に塾のようにして開かれて居る。
日本人は日本語学校へ。ヨーロッパ系は、主に教会で教えているようであった。公文式算数教室が当地のように方々で開設されているのが目についた。
私立の四年制中学もあり、カルモ公園近くのヒロシマという名の中学校は、有名であり特に見学させていただいた。
聞けば、経営者が大の親日家。「ノーモアヒロシマ」から平和を祈念して学校を設立したとのことで大へん感激した。校風もりっぱとのことであった。
国土が広く、また、住居の移動が激しく、ために文盲率40パーセントぐらいとのことである。奥地の移民も例外ではなく、不識字者解消運動を展開し、各地の文化体育館で篤志家による特別教育も開かれている。五、六十歳の生徒もいるとの報道もあった。
文化体育館といえば、日系移民の集会場があちこちに建てられてそこが中心になって盆踊りとか運動会などを開催している。また、母国の文学活動の拠点ともなっている。
毎週きめられた日に、詩歌、俳句、川柳、狂句、狂歌などの句会や歌会が開かれている。それらでの作品は、邦字三新聞の文芸欄をにぎわしていた。多くの秀吟が発表されており、年一回はそれぞれ全ブラジル大会も催されているらしい。
母国の文化を大切にし、また、いとしんでいる姿には頭の下がる思いであった。

復活祭翁の道は伯国も

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大分類 テキスト
資料コード 008437
内容コード G000000500-0033
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第83号(1984年8月)
ページ 15
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1984/08/10
公開日 2023/11/09