お盆のルーツは印度で、正確には盂蘭盆会(うらぼんえ)といい、印度語のウランバナが語源といわれている。中国を経て日本には7世紀に、13世紀ごろ沖縄に伝来したようだ。釈迦の弟子の目蓮が母親を餓鬼道から救うために、釈迦の教えどおり供養行事したのが起源とされている。
しかし沖縄では、前期の豊作に感謝し次期の農作の加護を願うという農耕儀礼にも結びつけた祖先崇拝のまつりとなっている。
13日の精霊の「迎え火」は、今では一般に家の門か玄関口で焚く所が多いが、本土のある地方では、昔からの伝統を守って、墓か道の四つ辻、丘や山の麓、川ばた、海岸などで焚く所もあるようだ。
迎え火の透けていよいよ佛殖ゆ
沖縄では現在「御迎え」の供物は、市販の果物や詰合せ物が主となったが、昔は甘蔗や9年母、アダンの実、ミンヌク(行先のない外道の餓鬼共に与える食物)、季節の野菜果物などの他に、ソーローチブルやソーロー箸、ソーローハージー、ガンシナなども飾った。
15日の「お送り」には、さらに御三味のご馳走も加え、紙銭を焼いて、これらの供物を佛へのお土産とした。 「お送り」が済むとエイサーが始まる。村の衆が根所の広場に集まり、拝所を巡り、各戸でエイサー踊りをしながら、夜どおし村中をねり歩くといった素朴で美しい民俗行事であったが、最近はそれがほとんど見られなくなった。現在、中部方面では盛んであるが、衣裳などが華美になった。
男はバサーヂンに縄帯、ワラ鉢巻姿に三線や太鼓、パーランクー、ドラ、ソーグ、ホラ貝などを、女は、パザーヂンかクンヂー、花織の手巾姿にクバ扇ややチヂンを持って踊り歩いた往古の舞い姿を、もう一度見たいものだ。
婆の唄より澎湃と盆踊り(山城青尚)